読んだら寝る

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苦労人による苦労人のライトノベル〜浅田次郎

 最近のライトノベルといえば異世界転生、ゲームのキャラクターに生まれ変わった、他の創作物からやってきた舞台装置をそっくりそのまま持ち込んだものが流行っているようです。優秀な人や努力している人でも実力の発揮できない理不尽な環境を時に強制的に去り、大活躍する。いわゆるなろう系ですね。

 「なろう」はもちろん大手小説投稿サイト小説家になろうから来たワードですが、私にはあのなろう系小説が「あなたも主人公になろう」と言っているように聞こえて仕方ない。

 報われていない、侮られている、努力が認められていないキャラクター達が能力や成果が正当に評価される世界で活躍する話は自分にもこんな風に今と違う場所でよく評価されて楽しくやっていけないものだろうかと憧れますよね。

 そんな感じに自分では頑張ってると思いながらもどこかうまくいかない現状をはねのけて活躍するキャラクターに自己を投影してしまうのが楽しいのかな?などと思っているのですがどうでしょう。

 しかし、中年まっさかりの私にはファンタジー世界やゲーム世界で繰り広げられるジャンキーな若者文化なろう系がバーガーキングハンバーガーがごとく胃に重くのしかかるものです。バーガーキング大好きなんで重くても食っちゃうんですが。

 そういう意味で胃に優しくサラッと楽しめる社会人にとってのかけそばといえば課長島耕作あたりがあります。私生(性)活に家庭に出世とサラリーマンかくあるべしでいきたいものです。あとはドラマで盛大に「倍返しだ!」ってやってた池井戸潤さんの小説も「いつか俺も倍返ししてやりてぇなぁ」としみじみしますね。消化のし易さは違えどもあれもあれでリーマンにとってのなろう系感がありますね。

 しかしどうでしょう。島耕作にバブル入行組だのは身の程を知り始めた我々にはあれはあれでチートと同じくらい身近ではない。なかなかあそこまで活躍できないですからね人生。自己を投影するより観客として眺めていたい。

 前置きが長くなりましたがそういう我々は何を読めばいいのか、苦労人がそれなりに報われる話を観客として楽しみたい。そんなときこそ浅田次郎です。

 浅田次郎というのはどういう作家かと言いますと自伝なりエッセイなりを読むと元自衛官でその後はアパレル業界等様々な(時にはややダーティな)職を転々としていたようです。そんな浅田次郎の代表作といえば高倉健主演の映画にもなった鉄道員(ぽっぽや)でしょうか。

 

 

 

 なんとなく純文学の雰囲気が漂うようで手に取りづらいと思いそうな表紙ですが、そんなことはありません。鉄道員にしても基本的には登場人物目線、語りを聴いているような文体でありさらっと頭に入ってくる。この語り調と舞台装置について簡易な説明をしてくれる地の文が特徴の作家なのです。

 例えばややこしい物理現象の教科書を読むというのは興味を持っていても専門用語が多く中々苦痛です。しかしどうでしょう、専門家が誰にでもわかりやすく講義してくれるというのであれば一転楽しく聴けるのではないでしょうか?

 そういう意味で浅田次郎が専門として描く物語は「苦労」の物語です。

 例えば、組織に使い潰されたノンキャリ官僚と冷や飯食いだった自衛官が退職後に天下り先で活躍する話。

 

 

 

 江戸時代、参勤交代を司る供頭(ともがしら)の役目を何一つ申し送られないまま父を亡くした若い優秀な侍が何とか参勤交代を成功させようと頑張る話。

 

 

 清朝末期、父を早くに亡くし、肥料集めである糞拾いで生計を立てる春雲(チュンル)が家族を食わせるために宦官としてのし上がろうとする話。

 

 

 剣技が免許皆伝でも、藩校の教授方を勤めるほど学問に精通していても、時間がなくなるばかりで禄が増えるわけでもない。そんな侍、吉村貫一郎新選組に入り、銭に汚い男として蔑まれながらも郷土に残した家族のために懸命に生きる姿を描いた話。

 

 すべての著作で全力を尽くして生きる人々の苦労を瑞々しく描いています。「苦労」の解像度がほかの作家と段違いなんです。多分浅田先生御本人はかなり苦労をされていて、かつ苦労をされた方を多く見てきたのではないでしょうか?浅田先生のエッセイを紐解くと笑える話とともに、御本人の苦労話も垣間見えます。作品を通して語られるテーマの中で「辛くても苦労してもそれを他人に見せびらかしてはならない」というものが感じられますが根底は浅田先生御本人の体験や見聞きした人々に依るのではないかと思います。

 そんな苦労人が書いた人生に対する解像度の高い小説は、落ち込んで疲れたとき、何かがうまくいかないとき、読むと「こいつらはすごく頑張っている。自分はまだ苦労というものを知らないのではないか。頑張れ!自分も頑張らないと!」そう思わせ、元気付けてくれるのです。

 浅田作品の魅力はそれだけではありません。苦労だけを描いてそれを読ませるなんて言うのは人生の辛いところだけ追体験するようなものです。人生は浮き沈みがある、小説ではどうでしょうか?おしんよろしく苦労パートだけではなくもっと楽しい要素も人生には詰まっているはずです。そう、実は浅田次郎の作品は人々の苦労を描きつつコメディ要素がかなり強い。

 ハッピーリタイアメントでは、貧乏ぐらしからマダムたちのオピニオンリーダーに上り詰めた婦人や1日数リットルの天然水を飲んでから起床するステーキ屋の経営者など一癖も二癖もある社長達からかつての債権をなんとかして回収しようとするコメディタッチで話が進んでいきます。

 一路は役者の出待ちをして譴責されたお殿様や、馬を売れない代わりに力士のように精悍なおつむの足らない馬喰、目立ちたがりの武骨者、殿様の叔父でお家転覆を図る後見人など、様々な人物を引き連れて、川は増水するわ、かつての老中の行列に出くわして道を譲れ譲らぬのと悶着を起こすわ、文字通り山あり谷ありの参勤道中。

 他にもヤクザが経営するホテルでのドタバタ劇を描いたプリズンホテル。

 

 一人クーデターを起こした自衛官、時代遅れの鉄砲玉ヤクザ、末は大臣と呼ばれた大蔵省の汚職(冤罪)役人が手に手を取り合って世直しをするきんぴか。

 

 

 などなど読み進めながらも思わず笑ってしまう展開の多さも浅田作品の魅力です。しかも笑わせるだけではなく、コメディであっても泣かせるシーンが必ずと言っていいほど入ります。感情をシェイカーの様に激しく揺さぶる作家と言えるでしょう。

 最後に、浅田次郎の文体はキャラクターがそれぞれの内心や独白、他人の語りを聴く、といった文章が多く存在します。この文体と相性のいい作品とはなんでしょうか?

 

 

 

 

 芥川龍之介が書いた「藪の中」は平安時代の強盗事件の犯人、被害者、目撃者等がそれぞれ事件について述べるも誰しもが自分の都合のいいように語り、全員の意見が食い違っているという作品です。真相は藪の中、とちょっとした、慣用句にもなっています。映画では、俗に羅生門と呼ばれるタイプのストーリー(黒田明の羅生門は藪の中をモチーフにしているため。映画は素人であり伝聞ですが。)

 壬生義士伝は様々な人物から見た吉村貫一郎像を語った作品であり、銭に汚い吉村貫一郎がなぜ敗戦の後、藩邸で切腹することになったのか、周りの人々の証言と吉村貫一郎の独白で徐々に明らかになっていきます。

 珍妃の井戸はまさに藪の中へのオマージュとも言える作品で、清朝末期の宮廷で誰が皇帝の妃、珍妃を殺したのか容疑者たちへの聴き取りを行うというストーリーです。

 

 

 

 長く高い壁は日中戦争当時、長城で毒死した1個分隊がいかにして死んだのか。これまた容疑者たちへの聴き取りから真相へと至る物語です。歴史物はなんとなく苦手感があり、読む際には事前に大まかな流れをウィキペディア等で抑えてから読むということを良くやっているのですが、浅田先生の作品はたとえ話を多く含むことで実際の歴史を噛み砕いて説明してくれるので、事前知識無しに思いの外すんなりと頭に入ってきてくれるのも嬉しいです。

 

 珍妃の井戸も長く高い壁も、ひとりひとりの証言はその都度もっともらしく聞こえ、では誰が怪しいかその渦中の人物を尋問するとまた別のやつが怪しく見えてきて、一体真相は?とページを捲る手が止まりません。

 私の文章では浅田次郎の魅力を全くもって表現できていませんが、疲れた時、落ち込んだとき。浅田次郎の本を読んでみるのはどうでしょう?最後の気力が湧いてくる。そんな素敵な作家です。