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好きな作家、本、マンガについて紹介

レトロ趣味もここに極まれり〜森見登美彦さんの「恋文の技術」

 昔から物わかりが悪いため、単純な仕組みの物ばかり相手にしてきました。iPodが流行り、そのブランドがいい感じにコピーされたか512MBも入らないような容量のMP3プレイヤーがゲーセンの景品に並び始めた頃を中学生として過ごしてきた私はあろうことかカセットテープを使っていました。当時親に買ってもらったCDラジカセと好きだったラジオドラマ達、ラジオで聴けるアニメ化したNHKライトノベルそして最新の楽曲がYouTubeではなく夜中のラジオ番組でフルで初オンエアされるような環境が「カセットテープで全部録音しちまえばいいじゃん。」となったのです。カセットテープは幼い頃から使ってきたビデオテープに似ていたので本能で使い方がわかりました。当時はYouTubeの楽曲を違法でダウンロードするのが当たり前でそれ用のソフトがクラスの話題に挙がる様な有り様でした。そういったソフトに魅力を感じていた自分もいました。使わなかったのは正義感ではなく、めちゃくちゃ遅い親のPCでよくわからないソフトをインストールして卑猥な物の混じる広告とワンクリック詐欺が表示されるのが怖くて使う気にはなれませんでした。

 さて、カセットテープをクラスで使っていたのは私だけのようで、CDと比較されて馬鹿にされたりもしていました。そもそも、ラジオが割とアングラな、言ってみれば陰キャの趣味だったように思います。好きなロックバンドの最新楽曲を聴くためにラジオを録音するような奴は多分陽キャではないです。そんな陰キャ全開の私が憧れていたのは携帯電話でした。

 メール、なんて最新の響きなんだ!と感動していたメールは高校の友人と連絡するための当たり前のツールとなり、大学に上がって部活やらサークルからの連絡がメーリングリストとなって「なんか社会人みたいだな。」と思っていたメールは瞬く間にLINEに取って代わられて、「連絡面倒くさいから早くスマホ買え。」と先輩や同級生に言われるようになりました。

 カセットテープの話を除けば割と平成初期に生まれた人間のありふれたテクノロジーの発展の思い出である気がします。そんな世間がスマホが台頭してゲーム機もPCもいらないんじゃないか?せめてタブレットあれば何でもできるやんみたいな雰囲気になってきた大学3年生くらいからでしょうか?私は文通をしていました。だからでしょうかなんとなく今回紹介する本の主人公の気持ちが判るのです。

 前置きがめちゃくちゃ長くなりましたが、今回紹介するのは森見登美彦さんの「恋文の技術」です。

森見登美彦著「恋文の技術」

 

 森見登美彦さんと言えばかつては京都大学に在学し、アニメ化した「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」「有頂天家族」など京都を題材にした摩訶不思議、ファンタジーかつコミカルな作品群で知られています。また、近年は「夜行」「熱帯」など不思議な雰囲気はそのままに文学要素を強めた作品を多く刊行し作風のの幅の広さを感じさせてくれます。

 まぁそんな森見登美彦さんの代表作を差し置いて「恋文の技術」について紹介したいと思います。

 この物語は主人公である守田一郎とその友人、先輩、バイトで家庭教師をしていた頃の教え子、妹そして想い人との片道書簡集です。片道と書いたのは守田君に宛てた手紙は本作の中に登場しないためです。とはいえ、守田君の手紙も前の手紙に対する返事の側面もあるため彼の周りで何が起こっているかは自ずとわかります。まぁ大したことは起こっていないんですが。

 さて、京都の大学で大した目標もなく院に進むことを決めた守田君は教授の「獅子が我が子を千尋の谷に突き落とすかの様な気持ち」により能登半島の隅っこの海沿いの実験施設でひたすらクラゲの観察と実験に明け暮れる毎日を送っていました。すみっコぐらしってやつです。

妻とボロボロ泣いた映画すみっコぐらし。

 実験をしては研究室の鬼軍曹谷口さんに怒られ、逃げ出そうにも海しかないし車も谷口さんしか持っていない。そんな毎日に寂しさを感じた守田君は同じ様になんの目標もなく大学院に進んだマシュマロみたいなアホウ小松崎君、大学院の真の主として君臨している大塚女史、家庭教師先のませた間宮少年、やけに優秀な妹と文通をすることにしました。流刑に遭った先で文通してるあたりは源氏物語と言えなくもないです。

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神作家・紫式部のありえない日々より。モテモテの源氏は沢山の恋人や妻との名残を惜しんでいましたが…。

 守田君は鬼軍曹谷口さんに「カモン、チェリーボーイ」と罵られているところからもまぁ童貞でしょう。光源氏は須磨に送られて現地妻というか恋人というかとにかく一時的にお付き合いされてましたが、守田君は童貞なので無聊を慰める手段は寂れた谷口さんの車で温泉に行くか、谷口さんの車でレンタルビデオ店に通うか文通しかない訳です。

 この本の何が良いかというと書簡しか無いにも関わらず守田君の人間性が垣間見えるところです。同期の友人には少しえばって自らが成し得たことのない恋の応援をし、家庭教師先の少年には先輩の目線からためになるアドバイスをし、研究室の影の王には悪戯を仕掛けては返り討ちにあうというコミカルな後輩として、妹には愚かな日々の様子を弁明しつつも家族として思いやりを見せています。文通なんてしち面倒なことにわざわざ付き合ってくれる人間が多数いることからも彼の人柄の良さが透けて見えます。同時に文通を通じて守田君の人物像が多面的に描かれるあたりが素敵です。特に間宮少年との手紙は「お前、そんなに立派に先生やってたのか!」とちょっと普通に驚きます。一緒にバカばかりやっていた友人が急に立派に社会人をやっている姿に面食らうくらいかの様に。本人の心情描写はほぼ無いにも関わらず何となく守田という愛すべき人間の人格が垣間見えてくるのが素敵です。本体はまるで見えないがコミカルに動く影絵みたいな小説ですね。

 彼が文通を始めた理由は大学生活でできた縁を途切れさせたくない言えばなんかカッコよくなってしまいますが、まぁ寂しかったからでしょう。モラトリアムで院に進むのは良くない(辛い)。そんな彼が文通で粋がっていたのがそう「恋文の技術」です。「文通武者修行中」とレッテルを貼られたり、「文通マスター」を自称したりコヒブミー教授の文献を参考にしたりと楽しんでいますが、そもそもの目的は傍目の誰から見てもわかるとうに社会人となった黒髪の乙女伊吹さんへの恋心を手紙で届けたいという下心が発端でした。一緒に夜中まで実験をしたり論文を書いたりと濃い日々を送っていた学部生時代の友人や先輩の内、同じ研究室なのに想い人だけには手紙を出せないというモロバレな下心と煮えきらない様子に周囲から「恋文の技術」を極めて伊吹さんに想いを伝えるというミッションが課されたりします。他人には明確にアドバイスをしたり慰めたりできるのにいざ自分が恋に落ちるとバカになり、しどろもどろになってしまうあたりが恋愛の良いところですよね。

 作品の最後に伊吹さんとの恋愛はどうなるのか?恋文の技術とは?カッコ悪いところが誰からも愛されている守田君の今後は?是非最後まで読んで頂きたいです。終わる頃にはなんとなく文通したくなる筈です。

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