読んだら寝る

好きな作家、本、マンガについて紹介

王ドロボウJINGの思い出

 小学生の頃に買っていた少年誌はコロコロコミックスだったんですが、不思議と各連載マンガの単行本はあまり買っていませんでした。本誌も取っておいてあるのであまり必要性を感じなかったのかもしれません。代わりに買っていたのは従兄に薦められたコミックボンボンの「サイボーグクロちゃん」なんかでしたね。そして少年時代の私の中のマンガかくあるべしという作品は熊倉祐一先生の「王ドロボウJING」でした。

王ドロボウJING全7巻

 王ドロボウJINGは、伝説の王ドロボウの末裔である少年ジンとその相棒で鳥のキールが様々な土地で盗みを働くという話です。

 ジンが盗むものは、「人魚の涙という宝石」「時計じかけのぶどう」「太陽石」「望む夢を見ることができる夢玉」「表情を失った王妃のためのとっておきの仮面」などなどで、その舞台は「ドロボウの都」「幽霊船のカジノ」「時計に支配された街」「滅びた不死の都」「仮面武闘会を催す街」「電力を支配する雲の王国」等、非常に多彩です。


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独自の標的。

 とりあえず何が一番格好いいかというと、その類を見ないデザインです。街、モブキャラ、文化が今まで見てきたものと全く異なっているのです。幼心ながらに「これは何かモチーフがあるに違いない!」と思わせる舞台が、「これはきっと大人が読んでも楽しいに違いない。」と思わせてくれました。

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特に見開きは格好いい。

「今は何がモデルか解らないが、俺が大人になる頃にはきっと理解できる筈だ!」という知識への、物語の世界への憧れがこの漫画を起点に広がっていきました。現に様々なシーンに、「ピーターパン」「星の王子さま」「時計じかけのオレンジ」「チャップリン」等の物語や様々なカクテルやお酒のモチーフが含まれており、今でも新たな発見がないかじっくりと読み込みたい作品なんです。

 そして、デフォルメされた独特な舞台に存在する魅力的な敵味方。個人的に好きな敵キャラは「はぐるまもんばん」「メダルド子爵(右)(左)」「仕立て屋」辺りですね。襲いかかってくる時の文句も気が利いててカッコいいんですよ。


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様々な敵キャラ。

 

また、各話ごとに絵柄が変化し続けることも魅力です。少年マンガ的な絵柄だった初期、ファンタジー要素が増した中期、そして芸術性すら感じる後期。何故か絵柄が一所に落ち着くという訳ではなくて常に変化し続けているんですよね。作者の熊倉祐一さんは「毎回思い出しながら描いている。」という噂もありますが、何にせよ「物語が変わった。」「時系列が変わった。」ということを否が応でも感じさせてくれます。


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1巻と7巻。絵柄が変わりすぎ。

 そして、女の子と遊ぶのは気恥ずかしいと感じていた小学生な自分と比較して、女性に対してスマートに接し、何なら惚れられるジンは「いつかこんなふうになりたいがきっと決してなれない憧れの像」として君臨していました。毎話ごと「ジンガール」と呼ばれるヒロインが登場するんですが、大体最初はほぼ敵対しつつも、最後は気持ちまで持ってかれるんです。


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様々な「ジンガール」達

そして読者がジンを見る目線は「ジンガール」からの目線とほぼ同じです。惚れてまう。f:id:sannzannsannzann:20240125212305j:image

ジンガールの一人になってしまう…。

 

ちなみに、いつ出たのかもいつ連載してたのかもわかりませんが、いつの間にか出版されてたちょっとだけ大人向けになった「king of bandit JING

(第2部全7巻)

 モチーフや言い回しが更に大人向けになり、ある意味全年齢向けになった第2部。少年マンガから入るのはちょっと…と思う方にも是非読んで頂きたいです。恋愛税が導入されてる街、過去を持たない人達の街、ある日突然消えていなくなった王様「蒸発王」が帰還した時のために究極のシチューを作ろうとしてる国の話などか好きです。

 この世界観の虜になった私は当時王ドロボウJINGのゲームもやってました。ゲームもゲームで「他と違う」感じがあってぐっと来ました。

王ドロボウJING Versionはデビルとエンジェルの2つ。

このゲームはある土地を訪れたジンとキールがその土地に隠された財宝を狙うというストーリーで、基本的にはポケモンのような育成ゲームなのですが、戦闘前に賭ける手持ちモンスターを選んで勝てばモンスターが手に入り、負けると育てたモンスターを失うという「モンスターベット」というちょっと独特なシステムに、「天使を掲げる街と悪魔を掲げる街」「世を捨てた「むじん」が住むむじん島」「眠ることが生き甲斐の秘密組織、ZZZ団の砦」「ねじ巻き鳥が住む島」等、漫画にも劣らない濃厚な世界観のステージがあり、原作の雰囲気を一切損なうこと無くゲーム化がなされています。

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ステージ画面。格好いい。

 それもそのはずで基本的なモンスターデザインやゲームのデザインは作者ご本人がなされています。私が好きなモンスターはたいほうごうとうとはだかの王様です。

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たいほうごうとう、コミックボンボンに投稿された採用キャラ

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服まで脱いでしまった「はだかの王様

 

まとめたのが誰かわからない全モンスター図鑑のリンク。まとめた方と語り合いたい…。

 

また、「あくまはにどしぬ」「どうけのなみだ」「もろびとこぞりて」「ロング・グッドバイ」「あんらくし」「こうちゃきのこ」等他のゲームでは全く見ない技名の数々。

「クラスでも多分俺しか読んでないし、俺しかこのゲームをやっていない。」という自意識が子どもの自分にインストールされましたね。

 何度もクリアしすぎてフラグやモンスターを仲間にする条件等、将来的に一切使用しない知識が私の脳内メモリの中の少なくない容量を圧迫していますが、このままだと一生出力する瞬間がないのでアウトプットしてみました。誰かと王ドロボウJINGのゲームについて語りたい。原作に登場したキャラクターを2体合成しないと進まないシナリオの理不尽さとか。ポセイドンレイジとふたごのらいじんどっちが好きかとか、ジンとキール以外に何のモンスター使ってたとか。

 そして、アニメもやっていたりと、中々手広いのですが、マイナー界のメジャーだからなのか特段人が語ってる姿を見ないですね…。

アニメもやってたり。

 私は誰かがマイナーな物について熱く語っている人を見ると「そんなマイナーなもの誰が知ってるのか?」と思う反面、「調べてみようか。」と思うタイプです。知っている人、知らない人それぞれに届いたら嬉しいです。

 

 

 

甘くてビターなデザートてんこ盛り。〜米澤穂信さんの「小市民シリーズ」

 社内試験的な行事が刻一刻と迫っています。暗記しないといけない資料が多数あり、正直かなり面倒なのですが、いい歳して久々にテストされるというレアな経験に学生時代が思い出させれます。学生時代は勉強はやや頑張っていたのでテスト自体は嫌いじゃなかったんですが、それも段々と「まぁ合格点取れればいいや。」に変わっていきました。一回そう思って合格点になるとそれからあんまり満点を目指して!みたいに頑張れなくなってきました。若い頃のようにガツガツと行く気性でも無くなって、元々平凡だったのに更に小市民の極みになっています。

 さて、小市民といえば最近アニメ化も決定した米澤穂信さんの「小市民シリーズ」ですね。というか逆に小市民シリーズくらいでしか日常で小市民という単語を使わない勢いです。アニメ化かーちょっと観たいなーと思いつつ年明けで比較的元気だったので小市民シリーズを再読したのでご紹介します。

 

小市民シリーズ(既巻4作品5冊)

 私が年明けで元気だからこそ小市民シリーズを読んだのには理由があります。米澤穂信さんの作品といえばそれこそアニメ化した「氷菓」を始めとした「古典部シリーズ」、信長に反旗を翻した荒木村重と彼に幽閉された黒田官兵衛を描き直木賞を受賞した「黒牢城」など出せばヒット作という勢いの作家ではありますが、その根底に渦巻く無力感や悪意の勢いも物凄い(※個人の感想です。)イメージのある作家さんです。端的に申し上げるとバッドエンド(風味含む)の作品が多いんですよ。全作品読んだ訳ではないんですが、逆にハッピーエンドの長編あるんでしょうか?という勢いでバッドエンド(風味含む)の作品が多いです。

アニメで一躍有名になった古典部シリーズの「氷菓

反乱中に様々な謎に翻弄される荒木村重を描いた「黒牢城」

 高校生が主人公のミステリーというと、仲間たちと協力して明晰な頭脳で謎を鮮やかに解き明かすといった雰囲気をイメージするかと思います。古典部シリーズではやる気がないながらも明晰な頭脳を持った折木奉太郎君が猪突猛進な可愛らしいお嬢様、千反田えるさんに火を付けられて謎を解き明かしていました。アニメは残念ながら未視聴なんですが、小説の古典部シリーズでは「解き明かしたものの悲しい結末だった」「どうにもならなかった」「頑張らなくても良かった」等明るいな雰囲気の中で迎える結末が、最終的になんとも言えない脱力感、個人ではどうにもならない無力感が見て取れました。というかコミカルな雰囲気で全くその辺り気にして無かったんですが大学時代に読書好きな友人に「米澤穂信さんってバッドエンドばっかりだよなー。」と言われて気づきました。そういやハッピーエンド見かけないぞ、と。

 そんなビター専門なパティシエみたいな米澤穂信さんの作品の中でも、今回紹介する小市民シリーズは、高校生活の狭間で楽しく推理をする探偵を描く青春ミステリーではなく、推理や事件とは無縁な小市民たらんとする2人の高校生を描いた作品です。

 主人公の小鳩常悟朗と小山内ゆきは互いに協力して(中学時代とは違って)穏やかな小市民的な生活を望んでいます。というのも、小鳩君は幼い頃より「持ち前の推理力を以て、望まれてもいないのに様々な事件に首を突っ込んだ」結果、ガッツリ周囲から疎まれた(と思われる。)経験から高校では大人しくしようと誓っています。要すれば彼の青春ミステリーなファーストシーズンは中学時代で終わりを迎えており、主人公が変わり果てた状態であるセカンドシーズンから高校生活は始まっています。ミステリー小説であまり取り上げられない「推理を披露する人間が周囲からどう扱われるか」の結果がリアルに表現されています。榎木津礼二郎位身勝手な人間にしか探偵仕草は無理だよ。でも経験値があり元々能力は高いので、何だかあんまりいいエンディングを迎えられなかったゲームの2周目が始まったみたいな状況です。

 一方で小山内ゆきさんは、小柄なせいで周囲からは中学生にも見間違えられるスイーツが大好きな高校生の女の子。彼女は彼女で中学時代の自分と決別して小市民を目指します。

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ハチミツとクローバーよりはぐ。読書前のイメージ。

彼女は、その大人しそうな容姿からは想像もつかないアグレッシブな性質を持っており、少なくとも「気弱だった中学時代とはもう決別!高校デビューして楽しく過ごすのよ!」とかではないことは間違いないです。どちらかというと「中学時代調子乗ってたら少年院入りかけたから高校では大人しく学校通おうかなー。親も心配してるし。」っていう不良漫画の主人公の方が近いです。

 そんな彼女ですので、小鳩君のことはその頭脳を認めつつ、「小賢しく知恵が回る」くらいのノリで陰で「狐」呼ばわりしてます。

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ジャンケットバンクより可愛い狐さん。

ネタバレ防止で伏せますが、小鳩君の「狐」に対応した彼女の動物占いは「〇〇〇〇」なあたり、危なさは折り紙付きです。少なくともモモンガとかエゾリスとかお付き合いしたくなる可愛らしい性格の動物ではないです。

 さて、そんな小鳩君と小山内さんですがその高校生活には様々なトラブルが降り注いできます。日常の謎が降ってくる度に思わず謎を解き明かしてしまう小鳩君に、不幸な事件に見舞われる度に「〇〇〇〇」の本性が垣間見える小山内さん。

 そして、小鳩君が主として絡む謎は「ポーチが無くなった」「限られた器でココアを作るには?」等と比較的平和な案件な一方で、小山内さんは「変な事件に関わってそうな人に自転車を盗まれた。」「脱法ドラッグを楽しむ集団に目をつけられた。」「先輩たちに暴行されている中学生から謎のCDを受け取る。」等と引き寄せる事件がかなり危なげです。

 個人的に好きなのは、小市民を目指しているのに、結局謎があると口角を上げつつ楽しげに推理してしまう小鳩君と「〇〇〇〇」らしく機会があれば全然自重しない小山内さんの食い合わせの良さですね。小山内さんは小鳩君の頭が回るところが結構好きなようでブレーキをかけないばかりか、ちょっとした謎解きを日常にガンガン挟んできます。小鳩君は小山内さんに付き合いつつも「大丈夫?暴れない?」「小山内さんじゃなくて相手が心配」みたいなスタンスで、もう凍りついた路面でブレーキを掛けることを諦めた運転手みたいになっているのが見どころです。

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すごいよマサルさんより。ライト点灯とブレーキしてなかった結果。

 あと「バレないように上手くやるし、これくらいならバレてもセーフだろう。」のノリで小山内さんに挑戦するあたりが最高に「童話の中で悪知恵を働かせる狐」ムーブをしています。小市民は知恵を働かせて仲間を騙そうとしない。そんな感じで2人で監視・制限し合ってないので全然この小市民同盟機能してないです。

 あとは、シリーズ名に入っている様々なスイーツに加え多くのスイーツが作中に登場し割と物騒な青春に華を添えています。甘いものを食べた後にしょっぱさが際立つように、可愛らしいスイーツ描写の後には、ビターの匠、米澤穂信さんが苦い苦いをラストを用意してくれています。と思っていたんですが、少なくとも最新刊は(比較的)ハッピーエンド(っぽい)又はビターというほどでもないエンディングの短編がいくらか有りました。

最新作。

 私は大概性格が悪いので、「数年前からアニメ化の話があり、比較的可愛らしい話を用意したのでは?」「春夏秋と来て巴里マカロンなのは番外編だからビターエンディングが少ないのでは?」「冬季限定〜はとんでもないバッドエンドでそのための屈伸では?」等と思っていますがどうなんでしょうか?今からアニメも楽しみです。

 2人は協力して平々凡々な小市民になれるのか?そして、今後ハッピーなエンディングは2人に訪れるのか?平々凡々な自分が嫌になった方におすすめのシリーズです。非凡なんて全く良いものではないのです。きっと平凡な自分を肯定できるはずです。目指せ凡夫。

↓ランキング参加中です。上位とか目指してませんが押されると自己肯定感上がります。よかったらよろしくお願いします。

セカイ系✕ミステリー✕異世界転生〜名倉編さんの「異セカイ系」

 メフィスト賞作品本日2冊目です。「スイッチ 悪意の実験」はちょっとパン屋さんが可哀想だったので、あらすじ的にも表紙的にもハッピーエンド感があった名倉編さんの「異セカイ系」を読みました。この後は「人間に向いてない」「火蛾」を読む予定なのでちょっと軽めな(雰囲気の)作品を挟みたいとの狙いでした。

 さて、セカイ系といえば男女の仲と世界の行く末が天秤に掛けられてる作品でいいんですかね?正確な定義はよくわかりませんが、「イリヤの空、UFOの夏」読んどけば良いって近所の犬に言われた気がします。

これだけあれば良いんだ。

 本作は元ニートな主人公名倉編(ペンネーム)が回転寿司屋でバイトしつつ、小説投稿サイト「White Novel」で「臥竜転生」なる小説を投稿する、という日常物かと思ってましたが超序盤からそれは覆りました。いつもの様に働きたくねぇー死にてぇと思っていた名倉は自らの小説である「臥竜転生」の世界に転移しました。目の前には理想のヒロインとして自らが描写した「イブにゃん」がおり、そして自らは主人公である「カミサマ」としてチート能力を持ち冒険に出ることに。しかし、ファンタジーな世界観で自由を謳歌できるかというと、自らが描写した設定に従わなければ明らかにヤバそうな闇が追いかけて来るというデメリットが付き纏います。f:id:sannzannsannzann:20231229223301j:image

劇場版ドラえもんでちょっとありそうなシーンですが、あんまり関係ないです。

 自分の考えたストーリーに従って動く中で名倉は、「小説内で現実世界の食べたいものを思い浮かべると現実世界に戻れる」「現実世界で死にたいと思うと小説内に飛ぶ」「現実世界で過ごしている時間は小説内では経過しない、逆も然り」という特徴に気付きます。

 さて、特に最後の時間のズレ(停止)を利用して回転寿司のバイトで無双したり、なんか他にも色々有効活用できそうですが、まぁバイトでいい感じに働いていた名倉。バイト先では金髪のイケてるお姉さんとちょっと仲良くなったりリアルもちょっと充実し始めます。

 これだけだと元ニートの復帰譚になってしまうんですが、そういう話ではないです。

ドラマ化もしてたお仕事物。しかしあくまで本作はセカイ系です。

 名倉は自分の小説に従うことでキャラクターの死が近づいていることに気付きます。具体的にはヒロインの母親です。

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男塾より。男でも死ぬのは駄目ですが、理想のヒロインそっくりの母親が死ぬのは辛い。

 自らの小説が「White Novel」でランク10位に着けているのは、ご都合主義に寄らず死ぬべきときにキャラクターが死んでいるから、と自覚がある名倉は、目の前にリアルに存在するキャラクター達が死に直面している事実に愕然とします。そして彼は気付きます。最近、「White Novel」の上位小説でキャラクターの死が極端に少ないことに。「White Novel」上位に入ると小説内に入れる様になるということに思い至った名倉は他の投稿者と協力して自らの小説世界を守る術を模索することになります。

 理想の世界に入れたら、との妄想は近年の異世界転生の物語を見れば割とありがちな妄想かもしれません。しかし、まぁ平和な日本に生きる現代っ子にモンスター相手でも切った張ったはキツい。さらに人相手となると尚更です。ある意味、異世界転生をリアルに突き詰めたらこうなるのかもしれません。ほとんどの人は英雄にはなれないんですよきっと。

 自らの小説世界を、理想のヒロインを守るには?そして、現実世界のイケてるお姉さんとの恋愛と小説内の理想のヒロインとの恋愛を両立させてよいのか?目の前に立ち塞がる様々な困難に、それでも小説に、他人に、現実世界に優しく有ろうとする名倉は非常に魅力的です。

 また、作中作を多分に使った本作ですが、小説という媒体を面白く使った試みが多数散りばめられています。具体的に明かすとネタバレになってしまいますが、少なくとも全部読み終わった後に、ミステリーとしての仕掛けが非常に面白く、「またすぐに読み直したい。」と思いました。恐らく、多くの読者は読み直すまで行かずともあの「描写」はどうなっていたか?と確認したくなる作品であると思います。そして、作中で名倉が語る面白い作家、舞城王太郎京極夏彦森博嗣西尾維新…等、漫画家、冨樫義博柴田ヨクサル林田球…等。読めば読むほどめちゃくちゃ影響を受けてます。特に舞城王太郎西尾維新柴田ヨクサル辺りの魂を顕著に感じました。この御三方の作品が好きな方にはチャッチャッチャッウッっと刺さると思います。

 元ニートのアマ小説家が世界をひっくり返す仕掛けを堪能したい方、是非年末年始に本作をどうぞ。自作小説とか書いてる方には特におすすめです。

「純粋な悪」は存在するのか?潮谷験さんの「スイッチ 悪意の実験」

 年末年始休暇、最高ですね。あまりに最高すぎて職場に来ています。弊社には色々な施設があるので、その保全やら点検やらで待機する人が(不運な数名)存在するためです。と言ってもやることは無いので、何ヶ月か前のセールで纏めて買って積読していたメフィスト賞受賞作品を読むことにしました。一冊目は「純粋な悪」を求める実験を描いた潮谷験さんの「スイッチ 悪意の実験」です。

第63回メフィスト賞受賞作

 

 本作は犯罪者の心理分析などでテレビにも多数出演している心理分析コンサルタントの安楽(あらき)氏が狼谷(ろうこく)大学の関係者6名に対して行った実験の話です。その実験とは、「押すと縁もゆかりも無いパン屋への資金援助が打ち切られ、善良なパン屋が破滅するボタンを渡すと人はボタンを押すのか?」と何とも悪趣味な内容です。

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賭博黙示録カイジ和也編より和也。
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悪趣味。

 参加者の6人は1ヶ月の間、スマホ内にインストールされたアプリに自らの生年月日を打ち込むことでスイッチを押すことができます。参加者には1ヶ月の間1日1万円振り込まれ、終了後はインタビューに答えると更に100万円貰えるという夢のようなバイトです。少なくとも押したら5億年の時を過ごすことにはなりません。

懐かしのホラー漫画?5億年ボタン。

 縁もゆかりも無いと言いましたが、参加者は一度安楽氏にパン屋に連れて行かれそこで食事をして、「石窯だのハンモックだの拘りがあるから雰囲気は良いけど郊外にあるし、パンの味は普通にちょっと毛が生えたレベルだし、赤字でも全く違和感が無い。」というパン屋の現状と、パンへの拘りを語る仲の良い夫婦、パン屋を全国チェーンにしたいと語る可愛い娘さん、まだパン屋とかちょっとわからないけど給仕してくれる可愛らしい5歳の双子の男の子達の何とも仲睦まじい様子を目の当たりにします。こんな幸せ家族を崩壊させるのは無いなと共通認識が芽生えた6人は、スイッチを押さないためにパン屋に通い詰めたり、普通に過ごしたりします。

 さて、本作の主人公は6人の内の1人、幼い頃に小規模な宗教が運営するタイプの保育園のちょっとアカン感じな園長先生に「お前は悪魔の子や、何か選択肢が有ると最悪を選ぶ女や!」と言われた経験のある大学生、箱川小雪。そのアカン大人の薫陶を受けたためか、全ての行動を脳内で行うコイントスで決める悪癖に従って生きるちょっとアカン若者に立派に成長した彼女は、「パン屋に悪いなー流石にコイントスで決めるのは無いなぁー。」と思いつつ、ガッツリ脳内でコイントスをしてパン屋の行く末を決めたり、そんな自分にドン引きしたりします。

 さて、実験の最終日、うっかりスマホを放置してうっかり盗まれた結果、うっかり40回くらい生年月日を打ち込まれて正解が弾き出されパン屋への資金援助が打ち切られました。


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スマホを落としただけなのに&ジャンケットバンクの可哀想な?パン屋さん。

 まぁ良いかと思いつつも一応礼儀として「無効!この実験は無効!」と言い張って見るもやはり実験は有効と判定されて資金援助が打ち切られます。

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 ついでに、最終日よりも前に実はパン屋の主人が自分のことをアカン幼児扱いしたアカン元園長先生であることも明らかになり「誰が(私以外に)スイッチを押した?なぜ?押すなら私やろ!」という疑問に主人公は向き合うことになります。

 主人公以外の人間は、正義感に溢れる仲良し美男美女カップルの2人、実家の寺の修繕が大変だから参加を表明したお坊さん、大学OBで就職浪人中の酒乱お姉さん、生活費にちょっと困ってる中国からの留学生であり、正直パン屋が滅びた所でなんの痛みも無いし腹の中では何を考えているか分からない連中です。

 スイッチは押されたわけで、結果としてパン屋は様々な不幸に見舞われて崩壊し、けれども押した人は素直に名乗り出ず、「純粋な悪はスイッチを貰ったら即押すと思うんだよね〜。」と考える安楽氏と「押した犯人を見つけたら資金援助を再開してくれない?」と取引を持ちかけた主人公はそれぞれ犯人を見つけ出そうとします。

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 さて、この物語の中で安楽氏が言う「純粋な悪」は存在するのか?誰が何故ボタンを押したのか?というシンプルな問いと、あらすじの時点で崩壊することがわかってる素敵なパン屋の行く末を年末年始で味わってみるのは如何でしょうか?悪人に目端が利くタイプの方におすすめの一冊です。

あぁ無情な属人化よ。グレゴリウス山田さんの「竜と勇者と配達人」

 仕事をする上で気になるのはタスクと能力の差です。優秀な人間がスーパー単純作業してたり、ノリと勢いで生きている人間に熟慮が必要な判断をさせていたりすると、もっと適材適所って無いんかい…なんて思ったりします。また、熟練パートのあの人しかできない業務、みたいなやつがあると一人抜けるだけで仕事が回らないということもよくあります。あぁみんながみんな超優秀でどんな業務でもできれば良いのに…と思うことも多々あります。しかし現実は無い物ねだり。全員が勇者のパーティなんてものは存在しません。

 さて、昔話をしてみると、産業革命によって?工場制手工業が徒弟制度や家内制手工業に取って代わったなんてことがありました。この辺ちょっと曖昧です。

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工場制手工業。うっすら日本史や世界史で習った気がしてます。

 人類は古くから「熟練の技がなくてもあの仕事が誰でもできるようになればいいのに。」と願い、それを道具や科学で実現してきました。計算は簡単にできるし、カメラを撮るのに暗室も現像液も要りません。近年だとイラストや文章すら生成されるようになりました。イラストレータの仕事を潰す気か!なんて声もSNSから聞こえて来るあたり、まさに過渡期という感じがしますね。


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宙に参るより。未来を描くSFでも技術的に厳しいことは勿論ある。

 前置きが長くなりました。今回紹介するのは剣と魔法が科学に取って代わられる過渡期を描いた作品、グレゴリウス山田さんの「竜と勇者と配達人」です。

全9巻+私家版1冊(完結済み)

 この竜と勇者と配達人は、魔法やスキルという非常に便利なものがあるファンタジー世界において、科学が剣と魔法を駆逐する過渡期を「配達人」という魔法・科学いずれが発展しても消えゆきそうな職業の目線から描いた作品です。

 主人公は配達人見習いであるハーフエルフの吉田。都会を夢見て故郷の森を抜け出し、法律と規則に則って勤勉に働く小役人です。f:id:sannzannsannzann:20231124203014j:image

ハーフエルフ「短慮」の吉田。

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めっちゃ小役人。

 街に出てきて9ヶ月という、彼女は配達人という仕事にも人間社会にも慣れておらず、見るもの全てが新鮮です。そして、彼女の目線を通して見る「竜と勇者と配達人」の世界は同様に我々にとっても非常に新鮮です。ファンタジー作品などいくらでも世に蔓延っている中、何が新鮮かと言いますと、一般的なファンタジーの世界と比較して明らかに、そして非常に煩雑です。煩雑ながらもこの人間社会の初心者、吉田を通して見るからこそ本作は非常に取っ付きやすいです。

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煩雑な要素の例「経験値記録官」ネタかと思いきや真面目な理屈もある。

 
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訴訟。

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紙を巡る特許。

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様々な職業。

 勿論、現実世界はシンプルに説明できるものじゃありません。ファンタジー世界が中世くらいとして、中世だって宗教も王政も国も民族もとめちゃくちゃややこしかったじゃないですか?高校時代に日本史専攻だった私が世界史Aで覚えている言葉はただ2つ、デカメロンコンスタンティノープルです。世界史めちゃくちゃややこしい。そしてそんな現実のややこしさをファンタジー世界にぶち込んだのがこの「竜と勇者と配達人」です。

 たとえばフィクションの作品で、寄生獣デスノートハイパーインフレーション等、世界に一つ異物が紛れ込んだら、というifの物語は多数あります。

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DEATH NOTE。もはや懐かしの名作枠。

 

一方で、本作は剣と魔法のファンタジー世界が成り立つような社会とは如何なるものか?というファンタジー+現実の歴史を合わせたifになります。

 
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セーブポイント。死んだらやり直せるとかそれはアホみたいな金がかかるでしょうよ。

 さて、本作は剣と魔法のファンタジー世界に訪れた過渡期と述べました。ややこしいファンタジー世界が成熟を迎えるに当って、「魔法もスキルも一般人には扱いづらいし、組合は利権のために自由な活動もさせてくれない。魔法なんかより誰しも使える技術は無いか?」「戦も無くなりつつある世の中で個人的な武力だけで世界を相手にできる存在は恐ろしい。」という世間の革新的な動きと、「魔法もスキルも使えない一般人に利権を奪われてたまるか!」という保守派の争いが火花を散らしていくことになります。必然、そこで生きる人々も選択を強いられるのです。


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剣と魔法の世界を終わらせようとする役人達


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剣と魔法の世界を終わらせまいと抵抗する人々f:id:sannzannsannzann:20231124211608j:image

剣と魔法いずれが発展しても理想のために変化をし始めた組織。

 三者三様の生き方が、争いが、中々に熱いです。また、先程は配達人の吉田の視点を通してと申しましたが、その他にも、

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自身を守るため組合から逃げざるを得なかった魔術師達。
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勇者も傭兵も市民も頼りにならんと組織された役人の軍団

 主人公吉田の周りにも、
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通信に命をかける駅遁局局長


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普段は昼行灯ながらいざというときは頼りになりたい先輩。

 などなど魅力的なキャラクターが多数おり、各々の立場から世の中の変革を味わうことができます。

 個人的に好きなのは保守派も革新派も目指すべきところは同じでも、立場によって争いが生起しているという点ですかね。
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魔法VS科学という保守派VS革新派の前哨戦。かつてのブルーレイVSHD DVDが思い起こされます。

 そして、この物語を描くのは十三世紀のハローワークという、ほぼほぼ滅びた職業しか載っていない解説本を書き、中世に凄まじい知見を持つ作者グレゴリウス山田さんです。

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冒頭から水くみとか粉挽きとか機械が取って代わった結果ガッツリ現代社会から消滅しつつある職業。

 正直何してた人なのかは知りませんが作中の膨大な解説と無限にも思わせる甲冑のレパートリーが作者の知識の凄まじさを自ずと教えてくれます。

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ちょいちょい入るコラム。マニアック過ぎる。

 ついでに私家版という作者が個人出版した本はこのコラムの分量も凄いことになっており、文字通り解説本といった風情です。

 剣と魔法、そして科学ががっぷり四つに組み合う作品を味わいたい方

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がっぷり四つ。

 そしてその争いの果てに何が待っているのか。ぜひ全巻まとめて読んでみて下さい。f:id:sannzannsannzann:20231124220520j:image

読んで目指そう豊かな社会。

京極堂シリーズ、17年ぶりの新刊「鵼の碑」レビュー

 先日、アーマードコア最新作が出たという日、プレイしたことの無い私は、「へー昔従兄弟がやってたやつだー。」くらいの感想しか抱きませんでした。ちょっと前にロックマンエグゼのコンプリート版みたいなやつがスイッチで出たときは狂喜乱舞したんですが。

懐かしの電脳世界。

 そして17年ぶりに京極堂シリーズの新刊、「鵼の碑」が発売された先日はどうだったかと申しますと、「まぁ今まで散々読んできてるし、買うかー。」くらいのノリでした。中学、高校と滅茶苦茶読んだにも関わらずです。さて、そんな新刊がどうだったかと申しますと、京極堂シリーズとしてのお約束を押さえつつ、タイトルにも有るように鵼(ぬえ)の如く正体不明な独特な読書体験ができる最高の作品でした。

最新刊。電子の海で百鬼夜行

 何が独特かと申しますと、過去の京極堂シリーズは殺人事件を題材にして、京極堂こと中禅寺秋彦が憑き物落としをするといった、割と王道のミステリー小説です。勿論その分量たるや銃弾が止められそうなレベルで、王道か?という部分はあるのですが。

 しかし、今作では、泊まっているホテルのメイドから幼い頃の殺人を告白された劇団の座付き脚本家である久住(くずみ)、勤め先の薬局で事実上の婚約者かつ雇い主が失踪した御厨、20年前に死体が消えた謎の事件の話を聞かされた木場の三者の目線で物語が進行していきます。まず、この三者が関わる事件自体が不明な点が多すぎて、何が焦点となるのか中々明らかになりません。あいつが謎のシチュエーションで殺されて、ついでになんか鬱々とした関口が容疑者!みたいな展開では無いわけです。また、京極堂も中々物語に絡んで来ないのでやきもきします。そんな中、三者がどのような事件に巻き込まれたのかと言いますと、

 久住は同じホテルに宿泊していた関口に対し、客室メイドから投げかけられた殺人の告白について相談します。彼女は何故そんな告白をしたのか?その告白は事実なのか、鬱々と話し合うわけです。

 御厨は、婚約者の失踪を受けて薔薇十字探偵事務所に調査を依頼します。ちなみに榎木津礼二郎は留守なので留守居の(主任)探偵益田が調査に乗り出します。

 木場は、定年したかつてのバディ、長門の定年壮行会で聞かされた20年前の事件について上司に確認した所、その事件の調査を命じられます。ちょっと釈然としない木場は、事件の手がかりを追い日光に向かった所、そこで偶然旧知の公安の人間、郷島が女性を追いかける所に遭遇します。

 三者三様別々の事件の様で、実は複雑に絡まり合う様はまさに今回のタイトルの鵼(ぬえ)の様で、やれ蛇だ虎だ猿だと事件の全容が見えぬままに読者もありもしない空想の事件の真実に思いを馳せることになります。また、その合間に語られる神仏習合神仏分離令廃仏毀釈放射性同位体など様々な歴史的、科学的な話もさながら「鵼」の隠喩の様に思えてなりません。

 個人的に、ただ読むよりも「この事件はこんなトリックなんじゃないか?」とか「こういう真相が隠れている気がする。」なんて考えながら読むミステリーは名作だと思うのですが、そういった意味では本作は最高に名作です。ありもしない空想上の鵼の姿を読者も想像しながら読むことになります。それを可能にするのが三者の目線で事実をすこーしずつ明らかにしていく京極夏彦先生の手腕です。それにしても、私も勿論「きっとこんな展開だったんだよ!」と思いながら読んだのですが、てんで的外れでした。あの歴戦の指ぬきグローブおじいさんはミスリードが巧すぎます。
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ハイパーインフレーションより着こなしが自然すぎる人。京極夏彦先生も絶妙なこなれ感がある。

 そして今回感動したのが各キャラクターとの再会です。中高生のころ紙で読んで以来、私もキャラクターとか忘れてるかな?と少し不安になったのですが、探偵役の古書肆中禅寺、破天荒な榎木津礼二郎や鬱々とした関口、粗暴な木場などメインキャラクターは勿論、軽薄な益田や童顔の医者緑川、釣り堀の爺などサブキャラの面々も読めば記憶がはっきりと蘇ってきました。全巻電子で買い直さなくてよかった!いや、いつかは買い直したいんですがね。

 また、どう転ぶかわからない五里霧中に見える中での場面転換が巧みで、意識していない時に

「ふと、目を向けると、

ー其処に、女が立っていた。」

とかやられるとビクッとします。映像が無いのにビビらせるのが本当に上手い。そしてそこで章を区切るな。続きが気になりすぎる。

 久々に読んだ新作で、正直どうなんだろう?と思って懐疑的に読んでましたが、やはりここまで(物理的に凄まじい文量)付き合ってきただけあって、シリーズとしての形が確立されており、京極堂シリーズにあって欲しいお約束の要素・展開を押さえつつ、謎に引き込まれる素敵な読書体験でした。

 鵼に化かされたい、そう思う方にオススメです。

 

私の推しのおっさん【島田さん】〜3月のライオンより

 徹夜の仕事明けでめちゃくちゃ眠いです。そんな中でも楽しみにして仕方がなかったのは3月のライオン最新刊です。なんかやたらと激務のさなかに生じた休み1日。その貴重な休日は3月のライオンの最新刊を読むことから始まりました。

3月のライオン、最新刊。

 3月のライオンは若き将棋の棋士、桐山くんが、育ての親を盤上でボコボコにするシーンから始まります。

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 自宅を静かに出て、将棋を指して、家に変えるだけの様子を淡々と描いていた第1話。そんな桐山くんの内心は、無抵抗の相手を何度も殴打したかのような心持ちでした。両親が亡くなり、引き取ってくれた将棋の家、そこでプロ棋士の養父の子供たちをぶっちぎって自分だけプロ棋士になった桐山くん。描写はたんたんとしているのに、その後はそんな彼の葛藤が描かれてグロテスクにすら感じます。しかし、そこはあの「ハチミツとクローバー」の作者羽海野チカさん。次第に明るい世界で桐山くんが当たり前の子どもとして、棋士として成長する姿が生き生きと描かれていきます。

 そんな桐山くんが成長するきっかけとなったのが私の推しのおっさん、島田さんです。f:id:sannzannsannzann:20230831173703j:image

推しのベストショット。

 この島田さんはA級棋士というめちゃくちゃ将棋の強いおっさんで、「あぁいう負けない将棋を指す人苦手だな〜」とか嘗めた気持ちで挑む主人公の慢心した頭をかち割ってくれます。

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かち割られシーン。

 そうして、一度心を粉々に打ち砕いてから、主人公の桐山くんを研究会へと誘い、心も将棋も成長させてくれるナイスガイが島田さんです。面倒見が良いのもさることながら、淡々としてるのに強いってやっぱり憧れるタイプのキャラクターです。


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優しいおっさん!

 さて、この3月のライオンは若き棋士桐山が徐々に成長し、救われていく物語です。一方で、おっさんたち、老人たちはそれ以上成長しません。

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いますよね、成長しないおっさんキャラ。

 それはそうです。いかにスポーツほど顕著ではないとはいえ、頭を使う将棋にも脳の限界はあり、全盛期があります。

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作中で描かれる様々な老人、おっさん棋士達。

 それでも研究を重ねて目の前の1戦1戦に挑み続けるおっさんが尊いのが3月のライオンですが、その最たる例が島田さんです。
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凡人を自称し、努力するナイスガイ。

 島田さんは将棋のためにできることをなんでも積み上げて来ているので実力もさることながら、周りからの評価も非常に高いです。

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評価の高い島田さん。

 A級で鎬を削って、タイトル戦にも挑んでますし、地元のためにもいつか名人へと常に意気込んでいます。幼い頃から好きな将棋のために生きてきたおっさんです。
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地方からずっと棋士になるために胃炎と戦ってきた島田さん。

 さて、そんな善人オブ善人なお人好し島田さんは過去に恋人を捨てました。捨てられた、とも本人は言っていましたが、相手を不幸にしないために納得して互いに手を離したみたいな印象を受けます。それ以来、将棋に打ち込むために、どんなに互いに良いと思う相手がいても、恋愛に踏み込めなくなっています。

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桐山くんの恩師の恋敵になりそうでならない島田さん。

 時折島田さんはかつての恋人を捨てたことを悔い、自分の選ばなかった棋士以外のルートを夢想します。おっさんなら誰しもありますよね、自分の別ルートを考えること。

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恋人と結婚した幸せな未来という悪夢を見る島田さん。

 そういったところが、こんなに真摯に生きてるおっさんも悩むんだと、大して真摯に生きていない我々の心に小さくて明るい火を灯してくれるのです。

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善人であることを悩む島田さん。

 胃の痛みを、そして心の痛みを将棋に捧げた光と闇のおっさんが島田さんなんですよ!

 そして超序盤(17巻中の3巻くらい)で主人公をふっ飛ばしてから久々に再戦が予期されているのが最新刊です。

 3巻で島田さんが主人公をふっ飛ばしたとき、私は未成年の桐山君よりも歳下でした。今は結婚し子供も生まれ、年齢は桐山君より島田さんの方がよほど近くなってます。若き天才桐山くんに共感したかった高校時代から、悩み戦い続けるおっさん、島田さんに共感する今。ある意味3月のライオンを追い続けたことで2度美味しい作品になっています。

 おっさんの星、島田さんの心の闇は逐次描写されてきましたが、最新刊では、恋人と仲間たちと幸せな将棋ライフを送る光の桐山君とかつて捨ててきた物を想い、将棋だけは負けられない闇のおっさん島田さんの対比がえげつない事になっています。


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私生活と将棋のいいループに入った主人公。

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主人公を光に導いたのに一番闇な、ラスボス感ある島田さん。怖い。

 そんな島田さんの未来がどうなるか、見届けて見たいと思いませんか?ちなみに先程友人にこの島田さん戦がどうなるか相談したところ、「ここで桐山くんが島田さんに負けたら3巻から全く成長してないみたいで嫌。」とのことでした。

 どうなるかわかりませんが、推しのおっさん、島田さんの将来を早く見たいところです。桐山に浄化されて恋愛に走る島田さんも、闇に生きる島田さんもどちらも楽しみにしています。f:id:sannzannsannzann:20230831184614j:image

 最近推しのおっさんがいない方に是非、3月のライオン17巻をオススメします。