読んだら寝る

好きな作家、本、マンガについて紹介

どこにもない日常とどこにでもある日常、榎本俊二さんの「ザ・キンクス」

 最近、涙もろくなってきている気がします。映画を観ると前までは感動しても泣くほどではなかったシーンでも思わず涙が目に溜まってしまうようになってきました。恐らく、登場人物の心境を自分がかつて経験した内容と照らし合わせて共感しているのではないかと勝手に思っています。その理屈だと老人ホームに入る頃には全創作物号泣になっちゃうんですがどうなんだろうとか考えている昨今です。

 さて、星の王子さまでは「すべての大人はみんな子どもだったのです。(でもそれを覚えている大人はほんの少ししかいません。)」と書かれていましたし、バハムートラグーンではヨヨが「ねぇ……ビュウ。おとなになるってかなしいことなの……。」って言ってました。

言わずとしれた名著。

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バハムートラグーンよりヨヨ。このセリフのあと完璧に心はサラマンダーに捧げた思い出。

 悲しいことかどうかは兎も角として、酸いも甘いも噛み分けなんとなく騙し騙しやってきているのが大人だと思います。そんな中、ふと部活で頑張っている高校生や、夜のドライブ、ダラッとした日曜のスーパー銭湯など様々な場面で何となく少年少女の日のことを思い出すと何故か切なくなる瞬間があるじゃないですか。それを疑似体験できる作品が今回紹介する榎本俊二さんの「ザ・キンクス」です。

(既刊2巻)

最新話の手前と1話は無料で読めるのでブログ読まなくてもいいので是非読んでって下さい。

 ザ・キンクスは錦久(きんく)家の日常を描いたコメディ漫画です。イギリスのロックバンドは全く関係ありません。作者の榎本俊二さんと言えば「えの素」等の不条理なギャグで有名な作家です。誰もが読んだことのある作品と言う訳では無いと思いますが、ギャグ漫画家としてのキャリアも長く、誰しも見かけたことのある絵ではないでしょうか。

えの素。実は雑誌で見かけたことはあるけど単行本をしっかり読んだことは無くてェ…。

 

 意外に子育てエッセイ漫画を3冊も描かれているのでそのあたりも家族の物語である「ザ・キンクス」に繋がってるのかもしれません。

バタバタした育児を描いたエッセイ漫画。淡々と描かれてるけどこの夫婦二人の育児は「めっちゃ頑張ってる」と襟を正してしまう。

 そんな榎本俊二さんが描く「ザ・キンクス」ですが、以下のようなメンバーでお送りしてます。


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何となく押しに弱い作家の父、隅夫(すみお)

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対人関係に対して億劫がる少し我が儘な母栗子(くりこ)

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しっかりしている様でどこか抜けている長女、茂千(もち)

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とにかく素直な長男、寸助(すんすけ)

 このメンバーがどこにでもある日常を過ごす様が描かれております。そのほとんどは「錦久家だけの思い出」であり、我々が共感する様なものではありません。「アルファベットの並び順を悩まないようにする方法を考える。」「偶然に近隣の旗振り係が勢揃いする。」「お祭りで急遽バンド演奏をする。」「こども会のやり方に全力でケチをつける。」等々、あくまで錦久家の思い出であって我々が懐かしいと思ったり共感するものではありません。

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アルファベットの順番に悩まなくなった父f:id:sannzannsannzann:20241209225316j:image
4コ区の旗振り係が勢揃いしたシーン。
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創作のために全力で子ども会のやり方にケチをつける父

 

 では何故それが良いのかと言いますと、どこか自分たちと別々に過ごしている誰かにちょっとだけ特別な、変な日常があるんだなあと想いを馳せることになるためだと思います。何というか、夜景を眺めていた時にポツポツと電気が消えたり逆についたりして他の人々の生活について考えてみる瞬間の贅沢と言いますか。そんな贅沢とは別にシュールな日常ギャグも普通に楽しいんですが。何だよ「アルファベットの順番に悩まない様にするって。」

 そして、その錦久家のエピソードの合間合間に、誰しもちょっとだけ遭遇したような思い出話が挟まります。「真っ暗な自宅がまるで他人の家に見える。」「深夜に勉強しながら静かな音でラジオを流す。」「家族で映画を観て夜に車で帰る。」そういった誰しも少し経験したようなエピソードが架空の錦久家に共感と愛着を持たせてくれます。こんな家族はどこかにいるんですきっと。f:id:sannzannsannzann:20241209220732j:image

夜の風景が全く違うものに見えるのはあるある。f:id:sannzannsannzann:20241209224718j:image

ラジオから聞こえてくる生放送なだけで面白さが150%になると思う。

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ちょっと子供向けっぽい映画を皆で観たあとの帰り。興味がなくても作品をバカにしたりしないのシンプルに凄く「良い家族」

 さて、あと3点ほど追加で本作の魅力を。この作品は日常系のお話ではあるんですが、見開きの迫力というか雰囲気がとんでもなく良いです。映画館、夏祭りのステージ、深夜の車等を見開きでこれでもか!と表現する様がそれぞれの短編に引き込まれます。
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真っ暗な映画館
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夏祭りのステージ

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お父さん以外がみんな寝た車内

 恐らくこんなに見開きでガッツリ生活を描いている作品は他に無いのでは?と思っちゃいます。有るなら有るで滅茶苦茶知りたいから誰か教えて欲しい。

 

 もう一つの魅力が、こう、説明が難しいんですがタイトルによる伏線回収です。短編を最後まで読んだあとに「あ、これそういう意味だったんだ!」ってなるゴールデンカムイとかニャロメロンさんのあれです。


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寄生獣以降のここ最近のタイトル回収と言えばこれ。

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ニャロメロンさんの濃縮メランコリニスタより。ニャロメロンさんがタイトルで伏線回収やるのどんなんだっけって思って読み直したらガッツリ下にタイトル書いてて笑った。

 ザ・キンクスはこのゴールデンカムイとニャロメロンの中間的な感じでタイトルを最初に持ってきたり、話の半ばのでかい見開きに持ってきたりしつつ、「あっタイトルそれだったんだ。」「タイトルそういう意味だったんだ。」とクスッとする肩透かしを決めてくれます。特に好きな話はあらすじで言うと「色々あって義理の父親をデイケア施設に送迎する話」につけられたタイトルなんですがすごく微妙なネタバレになってしまうので是非お読みいただきたいです。

 最後に、本作の登場人物の顔が凄く良いです。シンプルながら、こういう人いるわ〜となる絵です。義理の父、市役所の人、子ども会のちょっと嫌な人など納得しか無いのは凄い描写力だと思います。

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義理の父の凄い義理の父感。

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市役所の人と子ども会の嫌な人。

 あとこんなやけにリアルなモブキャラの中に無から美人が生えてきてビックリします。ここ最近読んだ漫画の中でダントツの美人、デイケア施設の人と市役所の課長算沢さん。デイケア施設の人は恐らく一生出てこなそうなんですが、算沢さんはしれっと再登場してる様で今後が楽しみです。
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1話しか登場しない上にコマも少ない美人、デイケアの人。


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市役所の課長、クールな算沢さん。

 ゆるい日常を味わいつつ、ちょっとした伏線にクスッとしてそれでいてやけにキャラが良いという最近読んだ漫画の中でもトップクラスに楽しめる作品でした。

 何となく疲れた人、人がみな我より偉く見ゆる人なんかがちょっとひと息入れたい時に「ザ・キンクス」おすすめです。

 

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レトロ趣味もここに極まれり〜森見登美彦さんの「恋文の技術」

 昔から物わかりが悪いため、単純な仕組みの物ばかり相手にしてきました。iPodが流行り、そのブランドがいい感じにコピーされたか512MBも入らないような容量のMP3プレイヤーがゲーセンの景品に並び始めた頃を中学生として過ごしてきた私はあろうことかカセットテープを使っていました。当時親に買ってもらったCDラジカセと好きだったラジオドラマ達、ラジオで聴けるアニメ化したNHKライトノベルそして最新の楽曲がYouTubeではなく夜中のラジオ番組でフルで初オンエアされるような環境が「カセットテープで全部録音しちまえばいいじゃん。」となったのです。カセットテープは幼い頃から使ってきたビデオテープに似ていたので本能で使い方がわかりました。当時はYouTubeの楽曲を違法でダウンロードするのが当たり前でそれ用のソフトがクラスの話題に挙がる様な有り様でした。そういったソフトに魅力を感じていた自分もいました。使わなかったのは正義感ではなく、めちゃくちゃ遅い親のPCでよくわからないソフトをインストールして卑猥な物の混じる広告とワンクリック詐欺が表示されるのが怖くて使う気にはなれませんでした。

 さて、カセットテープをクラスで使っていたのは私だけのようで、CDと比較されて馬鹿にされたりもしていました。そもそも、ラジオが割とアングラな、言ってみれば陰キャの趣味だったように思います。好きなロックバンドの最新楽曲を聴くためにラジオを録音するような奴は多分陽キャではないです。そんな陰キャ全開の私が憧れていたのは携帯電話でした。

 メール、なんて最新の響きなんだ!と感動していたメールは高校の友人と連絡するための当たり前のツールとなり、大学に上がって部活やらサークルからの連絡がメーリングリストとなって「なんか社会人みたいだな。」と思っていたメールは瞬く間にLINEに取って代わられて、「連絡面倒くさいから早くスマホ買え。」と先輩や同級生に言われるようになりました。

 カセットテープの話を除けば割と平成初期に生まれた人間のありふれたテクノロジーの発展の思い出である気がします。そんな世間がスマホが台頭してゲーム機もPCもいらないんじゃないか?せめてタブレットあれば何でもできるやんみたいな雰囲気になってきた大学3年生くらいからでしょうか?私は文通をしていました。だからでしょうかなんとなく今回紹介する本の主人公の気持ちが判るのです。

 前置きがめちゃくちゃ長くなりましたが、今回紹介するのは森見登美彦さんの「恋文の技術」です。

森見登美彦著「恋文の技術」

 

 森見登美彦さんと言えばかつては京都大学に在学し、アニメ化した「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」「有頂天家族」など京都を題材にした摩訶不思議、ファンタジーかつコミカルな作品群で知られています。また、近年は「夜行」「熱帯」など不思議な雰囲気はそのままに文学要素を強めた作品を多く刊行し作風のの幅の広さを感じさせてくれます。

 まぁそんな森見登美彦さんの代表作を差し置いて「恋文の技術」について紹介したいと思います。

 この物語は主人公である守田一郎とその友人、先輩、バイトで家庭教師をしていた頃の教え子、妹そして想い人との片道書簡集です。片道と書いたのは守田君に宛てた手紙は本作の中に登場しないためです。とはいえ、守田君の手紙も前の手紙に対する返事の側面もあるため彼の周りで何が起こっているかは自ずとわかります。まぁ大したことは起こっていないんですが。

 さて、京都の大学で大した目標もなく院に進むことを決めた守田君は教授の「獅子が我が子を千尋の谷に突き落とすかの様な気持ち」により能登半島の隅っこの海沿いの実験施設でひたすらクラゲの観察と実験に明け暮れる毎日を送っていました。すみっコぐらしってやつです。

妻とボロボロ泣いた映画すみっコぐらし。

 実験をしては研究室の鬼軍曹谷口さんに怒られ、逃げ出そうにも海しかないし車も谷口さんしか持っていない。そんな毎日に寂しさを感じた守田君は同じ様になんの目標もなく大学院に進んだマシュマロみたいなアホウ小松崎君、大学院の真の主として君臨している大塚女史、家庭教師先のませた間宮少年、やけに優秀な妹と文通をすることにしました。流刑に遭った先で文通してるあたりは源氏物語と言えなくもないです。

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神作家・紫式部のありえない日々より。モテモテの源氏は沢山の恋人や妻との名残を惜しんでいましたが…。

 守田君は鬼軍曹谷口さんに「カモン、チェリーボーイ」と罵られているところからもまぁ童貞でしょう。光源氏は須磨に送られて現地妻というか恋人というかとにかく一時的にお付き合いされてましたが、守田君は童貞なので無聊を慰める手段は寂れた谷口さんの車で温泉に行くか、谷口さんの車でレンタルビデオ店に通うか文通しかない訳です。

 この本の何が良いかというと書簡しか無いにも関わらず守田君の人間性が垣間見えるところです。同期の友人には少しえばって自らが成し得たことのない恋の応援をし、家庭教師先の少年には先輩の目線からためになるアドバイスをし、研究室の影の王には悪戯を仕掛けては返り討ちにあうというコミカルな後輩として、妹には愚かな日々の様子を弁明しつつも家族として思いやりを見せています。文通なんてしち面倒なことにわざわざ付き合ってくれる人間が多数いることからも彼の人柄の良さが透けて見えます。同時に文通を通じて守田君の人物像が多面的に描かれるあたりが素敵です。特に間宮少年との手紙は「お前、そんなに立派に先生やってたのか!」とちょっと普通に驚きます。一緒にバカばかりやっていた友人が急に立派に社会人をやっている姿に面食らうくらいかの様に。本人の心情描写はほぼ無いにも関わらず何となく守田という愛すべき人間の人格が垣間見えてくるのが素敵です。本体はまるで見えないがコミカルに動く影絵みたいな小説ですね。

 彼が文通を始めた理由は大学生活でできた縁を途切れさせたくない言えばなんかカッコよくなってしまいますが、まぁ寂しかったからでしょう。モラトリアムで院に進むのは良くない(辛い)。そんな彼が文通で粋がっていたのがそう「恋文の技術」です。「文通武者修行中」とレッテルを貼られたり、「文通マスター」を自称したりコヒブミー教授の文献を参考にしたりと楽しんでいますが、そもそもの目的は傍目の誰から見てもわかるとうに社会人となった黒髪の乙女伊吹さんへの恋心を手紙で届けたいという下心が発端でした。一緒に夜中まで実験をしたり論文を書いたりと濃い日々を送っていた学部生時代の友人や先輩の内、同じ研究室なのに想い人だけには手紙を出せないというモロバレな下心と煮えきらない様子に周囲から「恋文の技術」を極めて伊吹さんに想いを伝えるというミッションが課されたりします。他人には明確にアドバイスをしたり慰めたりできるのにいざ自分が恋に落ちるとバカになり、しどろもどろになってしまうあたりが恋愛の良いところですよね。

 作品の最後に伊吹さんとの恋愛はどうなるのか?恋文の技術とは?カッコ悪いところが誰からも愛されている守田君の今後は?是非最後まで読んで頂きたいです。終わる頃にはなんとなく文通したくなる筈です。

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頑張ろうと思わせてくれる作品〜木尾士目さんの「はしっこアンサンブル」

 激務の中ようやく休みに入りました。久々にゆっくり過ごす時間ができ、たまにはダラダラするかとぐうたらな日々を送っています。ただ、最近あんまり心に刺さる小説と出会えていないと言いますか、久々の余暇にまだ心がついて行っていないと言いますか、とにかく活字に集中できていません。あんなに読書三昧の日々に憧れていたにも関わらずです。これは休みなのにめっちゃ取引先から連絡きたりしてるからでしょうか?ちょっと今読みたい本とか整理したいと思います。

 なんか気持ちが落ち着かないのは昇進するための社内試験に落ちたことも原因にある気がします。正味激務で勉強する暇が無い、と言っても朝早くから起きて勉強したり、残業の後に勉強したりしてない以上何を言っても言い訳にしかなりません。「まだ全力を出してない。」みたいな痛いムーブは今まで取ってきてはいないつもりですが、少々情けなく感じてます。そういう時に思い出すのは過去自分が頑張ってきた記憶です。受験勉強や部活、果ては研究において後悔ばかりですが、それでも「俺は全力で頑張ったことがある。」という記憶は、もう一度何かに打ち込もうとするきっかけにはなると思います。

 さて、クソ自分語りが終わったところで、今回紹介するのは必死で変わろうとする高校生達を描いた作品、木尾士目さんの「はしっこアンサンブル」です。

 

全8巻(完結済み)

 木尾士目さんといえば大学のオタクサークルを描いた作品「げんしけん」が有名ですね。

全21巻(完結済み)

 今作は受験勉強が終わり趣味に遊びに振り切っている大学生達ではなく、自分の進路に不安を抱いている悩める工業高校の学生たちを描いた作品てす。

 工業高校といえばやはり資格取得や早く就職して独り立ちしたいという学生に昔から人気のある学校です。主人公、藤吉晃(ふじよしあきら)はシングルマザーの母親を助けたいという思いと、自分の低い声へのコンプレックスから「あまり人と話さなくても済む仕事に就ける」のではないかと考え端本工業高校(通称はし高)に進学を決めます。
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かなり後ろ向きな主人公。

 彼が自分の声にコンプレックスを持つ理由となったのは、中学時代の合唱コンクールでした。あまりにも低くなりすぎた声とうまく付き合えず、口パクで乗り越えた合唱コンクールはなんと金賞を受賞しました。それがきっかけで彼は異分子の自分が不在のほうがクラスがまとまったと声を出すことが苦手となってしまいました。
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多感な時期にこれはキツい。

 そんな藤吉がはし高で出会ったのは合唱部を作ろうと毎日校内で歌い続ける新入生、木村仁でした。

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歌う木村、中々できることではない。

 派手なパフォーマンスは良くも悪くも他人の目に留まり、上級生にいちゃもんをつけられたりしますが、彼は校内のあらゆるところで独唱を続けます。そして、ある日、藤吉は教室でスキマスイッチの「奏(かなで)」を歌う木村に出会います。奇しくもその曲はかつて藤吉が合唱コンクールで歌えなかった曲でした。

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トラウマ。

 「奏」を筆頭に男声、女声と様々に変わる曲に耳を奪われた藤吉は木村の目に留まり、その低音の低さは合唱において武器になると告げます。そして藤吉は「声を出せるようになれたら合唱部に入部する。」という条件で声を出すトレーニングをすることになります。

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 出会い。

 

 さて、合唱は一人でやるものではないです。もちろん2人でできないことはないんでしょうが、やはり人はいるにこしたことはありません。本作には藤吉、木村以外にも様々な登場人物が自分の悩みと向き合いながらも成長していきます。
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新入生で唯一の金髪、どこからどう見ても不良の折原

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ピアノを諦めた不器用少女、倉田

 本作の魅力は、木村によって変わっていった藤吉とその藤吉に救われた周囲の同級生達、そして巡り巡って木村を変えていくという化学反応のような成長譚です。木村と藤吉が二人きりで始めた合唱同好会に徐々に仲間が増えていき、悩み、衝突を繰り返しつつも合唱になっていく様は読んでいて胸を打ちます。是非全巻通しで読んで彼らの成長を見届けていただきたいです。


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自分の過去に向き合うために合唱を始めた折原


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過去の経験から、自分の才能の無さと感情表現への理解を諦めている木村


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過去の合唱コンクールの経験を引きずる藤吉


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ぶつかり合って、互いの想いをぶつけ合い変化、成長していく様がぶっ刺さります。

 そしてなんといっても合唱シーン。登場人物たちの感情の昂ぶりが伝わるとともに、自分がまるで観客になったように感じる表現は素晴らしいの一言です。是非、1回目は普通に読み、2回目では各合唱シーンにyoutube等で実際の合唱を流しながら読むのはいかがでしょうか?没入感が味わえて非常に素敵です。
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魅力的に描かれる合唱シーン、是非耳と目で楽しんで欲しいです。

 木村と藤吉によるハーモニーで始まった合唱部。その2人が最後に一体何の曲を歌うのか?それを是非その目で、耳で確かめてみてはいかがでしょうか?何かに打ち込んできた方には「もう一度頑張ろう。」と思わせてくれる素敵な作品だと思います。

 

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恋愛上手が見せる不器用な所〜草川為さんの「今日の婚のダイヤ」

 風邪をひきました。なにやら咳だけ止まらなくてすわ懐かしのコロナか?と思いましたがどうやら違うようです。熱もないので明日には出勤しなければなりません。辛い。とはいいつつゆっくり横になって本を読んでいたので気晴らしにはなりました。特に、「ノウイットオール」は群像劇+複数ジャンルという面白い構成で、ミステリー、青春小説、SF、幻想小説、恋愛小説という5つのジャンルごとの短編に少しずつ繋がりがあるという面白い仕掛けの本でした。それぞれの登場人物は物語同士の重なりを理解していないので、まさしく「あなただけが知っている」物語です。

(1冊完結)

 さて、この本を読み終わり、やはり群像劇って良いなー。とか思っていたのですが、それはそうと短編の恋愛小説を読んだ結果、私の中の乙女な部分が、「久々に恋愛小説やら恋愛漫画を読んでキュンキュンしたい!」と騒ぎ始めました。f:id:sannzannsannzann:20240527220653j:image

誰しもある女子な部分。

 そして、私が恋愛もので好きなタイプは恋愛上手を自認してるキャラがする不器用な恋愛です。


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 そんな私とドラゴンの様な人におすすめの作品がこちら、花とゆめコミックス草川為さん作の「今日の婚のダイヤ」です。

(全1巻)

 草川為さんといえば「ガートルードのレシピ」をはじめとした「ファンタジー+恋愛」な漫画の名手ですが本作はあくまで現代のお話です。

 「今日の婚のダイヤ」は、恋愛上手を自認する主人公、豊川さんと2回目のデートで宝くじを一緒に買いに行くちょっと冴えない「クジ男」久慈さんとの恋愛を描いた作品です。

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デートで宝くじを買いに行ってはいけない。

 

そして群像劇を読んで本作を思い出したのには理由があります。実はこの漫画に登場する豊川さんは、同作者の群像劇恋愛漫画、「今日の恋のダイヤ」の登場人物です。

(全1巻)


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 群像劇の中でそれぞれが勇気づけられるシーン

 

「今日の恋のダイヤ」は全4篇の短編のキャラクター同士が実は知ってか知らずか互いにエールを送りあっていて…という展開が素敵な、遠距離恋愛や航空機での移動を題材にした恋愛漫画です。豊川さんはその中で、「傷つくのが怖くて自分の気持ちを素直に出せない武士のような女の子」のライバル「恋愛も仕事も全力で駆け引きも上手な可愛い女子」として登場し見事に討ち死にしました。

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「今日の恋のダイヤ」では鞘当にしかなりませんでした。

 そんな1短編の負けヒロインだった豊川さんが負けた5年後にちょっと空気の読めない久慈さんと恋に落ちて結婚して幸せになるまでを描いたのが「今日の婚のダイヤ」です。5年間たって1短編の負けヒロインから単巻の主人公になる辺りはかなりの出世です。

 ですので一番オススメしたいのは本作「今日の婚のダイヤ」ですが、それにはまず「今日の恋のダイヤ」を読んでください。読まなくても十分楽しめますが、読むと豊川さんの魅力マシマシになります。

 「今日の恋のダイヤ」で24歳だった豊川さんですが、5年もグダグダしてた結果、「今日の婚のダイヤ」では元ライバルには子供ができてますし、親には「めちゃくちゃ可愛いのに思いの外結婚しないわね」と言われたりとちょっとブルーになることもしばしば。
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29歳女子の憂鬱

 豊川さんは恋愛対象の理想が高く、対象外の人間は全員顔が「へのへのもへじ」で表現されるというとりあえずイケメン以上にしか興味がない様が描写されています。とはいえ、持ち前の容姿と駆け引きで持って様々な相手との出会いもあるのですが意外と上手くいきません。


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恋愛上手そうな歯科医との出会いシーン。

 恋愛が上手く行かない中で、かつて「へのへのもへじ」だと思っていた久慈さんがその誠実さをもって徐々に彼女の中で特別な存在になっていく様が良いんです。


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不器用ながら誰よりも誠実な久慈

 
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 どんどん鎧が剥がされていく様な豊川さん。

 そして恋愛上手を自認していた豊川さんが久慈に引っ張られてどんどん不器用になっていく様が可愛らしくて最高です。また、タイトルにも有る様に、割と中盤にはふたりは結婚するのですが、結婚したあとも互いにどんどん惚れていく様、そして仲違いや浮気の疑い、コナを掛けてくる同僚など様々な困難に夫婦としてあたっていく様子がぐっときます。

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打算的な様子よりデレる様が凄まじく可愛い。


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久慈にコナ掛けてくる同僚、この頃にはクジ男じゃなくて「栄さん」って名前呼びなのが良い。

 一番見たいのはくっつくまでじゃなくてくっついた後なんだよ!というドラゴンにもおすすめです。


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 最近自分の中の乙女な部分が拗ねてるタイプの人、風邪ひいてキュンキュンしてないという方は是非読んでみてください。

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たまに思い出す山田のこと。〜金子玲介さんの「死んだ山田と教室」

 この度、第65回メフィスト賞を受賞した「死んだ山田と教室」を読みました。

第65回メフィスト賞受賞作品

 さて、「死んだ山田と教室」発売日に買っておきながら多忙のためつい先日ようやく全て読めたのですがめっちゃ良かったです。何故か発売前から映画化が決まってて、そんなことあるのか?そんな凄いのか?って思ってました。実際斬新な読書体験でしたし、是非映画も見たいと思いました。

 この「死んだ山田と教室」の舞台は割と進学校な啓栄大学付属穂木高等学校(通称、穂木高)。穂木高の2-Eは、クラス1の人気者山田を中心に雰囲気の良い最高のクラスでした。

 本筋と全然関係ないですが私は、ラグビー部だった山田が骨折して部活辞めたという情報からずっと隣のクラスのラグビー部の同級生という気持ちで読み進めてました。あいつが怪我しなきゃ県大会いいところまで行けたのに、同じフォワードとしてずっとやってきたのに辛いわ。こんな感じで隣のクラスの山田の知り合い目線で読むとやけに山田と山田のクラスに感情移入できるのでオススメです。

 しかし、8/29に山田が飲酒運転の自動車に撥ねられて亡くなり、クラスは夏休みが終わった9月に入ってもお通夜ムードに。「要は」が口癖の空気の読めない花浦先生が「死んだという噂を聞いた元カノ」を例に挙げてどんなに言葉を尽くして励ましても、「そもそも生死が曖昧な元カノと俺達の山田を一緒にすんなよ。」と上の空だったクラスに、何故かスピーカーに乗り移った山田の霊が降臨し、「俺の考える最強の2-Eの布陣」を発表し、クラスは急遽席替えをすることに!

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メフィスト賞史上一番平和な見取り図。

 冒頭はそんなちょっとシュールすぎる話です。勿論、声だけの存在になったとは言えクラスの人気者であった山田と話せるのは皆嬉しく、話し合いの結果「クラスの外にバレたらマスコミやらなんやら大変なことになる。」と考えた2-Eの面々はクラスに部外者がいないタイミングで山田と話したいときには絶対に他人が言葉に出さないような合言葉を山田への合図として呟きます。「おちんちん体操第2」と。ちなみに第2なのは「男子校なんだからおちんちん体操くらいは誰かがふざけて言う可能性はある。」とクラス1の秀才高見沢が提案したからです。流石高見沢!

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クラス1の秀才(イメージ図)

 さて、この物語の魅力は何でしょうか?和気あいあいと過ごす高校生の交流でしょうか?または死を通しても失われない友情でしょうか?はたまたバカばかりやってる男子校のノリでしょうか?いずれも魅力の一部ではありますが、本作の一番の魅力は圧倒的なリアリティです。


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男子校のノリ(イメージ図)

 生きていた山田に対するスタンスが全員違っているのは当たり前ですが、死んだ山田に対するスタンスも十人十色です。死んだのだから話すべきではないと考える者もいれば、いつまでも山田と話していられて嬉しいという者もいます。そしてその考えも高校生活の残り半分、1.5年間を通して移ろいゆく様が描かれています。ある意味やってることは豚を食うか生かすか決めるクラスに似ています。

カリキュラムに無さそうな力強い情操教育。

 ただブタがいた教室と違って山田が死んだ教室では、山田の今後について全員で多数決を取るわけではないので、明示的なものはなくあくまで一人一人が山田と関わり、その関係性を変えていくことになります。その模様が少年期の人間関係の多様性を描いていてリアリティが半端ないです。  

 さて高校生活のことを思い出してみてほしいのですが、2年生の頃に仲の良かった同級生とどれほど今でも関わりがありますか?そもそも成人しており、 社会人と比較的地続きな大学生活あたりと比較すると高校生活に思いを馳せる機会なんてほぼ無いのではないでしょうか?私は正直、1〜2番に仲の良かった友人とたまに話をするくらいです。何が言いたいかと言いますと、あなたは高校の同級生の名前を何人覚えてますか?今急に同級生に会いに行こうと思いますか?私は正直あまり思い出せませんし、今でもやり取りしている相手以外は会おうとも思いません。

 細部はネタバレになりますが、そういう意味ではスピーカーになって復活したという特殊な境遇にある山田もあくまで同じように一人の高校生なのだと思い至りました。スピーカーとなった「クラス1の人気者山田」が「一人の高校生山田」となり、クラスメートの関係がどうなっていくのか興味がある方は是非最後まで見届けてほしいです。読み終えたあと、何となく疎遠になったけれども仲の良かった同級生のことを思い出してしまう、そんな素敵な1冊でした。

 

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娯楽純度100%な楽しいゲームブログ〜赤野工作さんの「ザ・ビデオゲーム・ウィズ・ノーネーム」

 最近社内の試験前で若干社内の若手(30代前半〜)がピリピリしてます。今後の昇進に絡んだり本社勤務に絡んだりするのでさもありなんという感じですが。社内には「いやぁ〜業務ばかりで全然勉強できてないわ〜(めっちゃしてる)。」とアピールする輩が蔓延り、悲しいことに私も「勉強できてないわ〜(本当に)。」と言わでもがななアピールをしてます。そんな感じで最近意識高めな「DX」の本とか読む羽目になってます。デラックス以外の読み方合ったんですね、これ。f:id:sannzannsannzann:20240512221604j:image

山田しいた、ITおじさんより。こういう奴かと思ってた。

 直属の上司に「最近読んだ本は?」って訊かれて、「地雷グリコ」「致死率十割怪談」「冬季限定ボンボンショコラ事件」とか答えてたんですが、周りの同僚は「ザ・ゴール」とか「サピエンス全史」とか読んでる様で肩身が狭いです。私の方が旬を抑えてる感じがするんですが。

今(Xとかでも)熱い3冊だと思ったんですが上司には不評。

クリティカルパスとか何やらで需給を安定させるとかホニャララな感じの本。同僚よりだいぶ前に読んだはずなのに欠片も覚えてない。

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「読んだことある本自慢されて黙ってられるか!!欠片も覚えてないけど!」

 さて、趣味が読書と言って憚らない私ですが、職場では不評です。いや、流石に仲の良い同僚を除いたら真面目にビジネス書だの新書だのの話してます。ただ、現代ビジネスをおさえとくためだけのための読書って苦痛なんですよね。食いたくない物食わされてるというか。きっと社会人になった遠子先輩とかもビジネス書を泣きながら食べてるんでしょう。

本を食べるタイプの文学少女、遠子先輩。

「読書は教養を高めたり昇進するための物じゃねぇ!余暇をダラダラ過ごしたり物語を楽しむための物なんだ!俺とビブリオバトルで勝負だ!」という気持ちですので、気がついたらページを捲って読み直してしまう娯楽純度100%の作品、赤野工作さんの「ザ・ビデオゲーム・ウィズ・ノーネーム」を紹介します。

 本作は、「2115年に過去のレトロゲームクソゲー)を紹介するブログ」という体の小説です。というかブログの文章化まんまです。本作の主人公(≒ブログ主)は割と高齢のおっさんで、溢れるゲーム愛をブログという形で表現しています。本作に登場するゲームは、話題になりながらも「クソゲー」の烙印を押されたゲームたち。その紹介する範囲は2020年代から2080年代まで多岐にわたり、ブログ主のゲーム愛が伺われます。当然ですが全て「架空のクソゲー」です。本作に登場したゲームを覚えていても、社内の昇進に影響はありませんし、なんなら脳の容量の数%を「存在しない未来のクソゲー」が占めることになります。

 さて、本作で紹介されるクソゲーはどれもこれも非常に癖があります。今ですら「こういうクソゲーがありました!」ってYouTubeニコニコ動画で紹介されてたりしますよね。そういうクソゲーは人から紹介されたり、ましてや自分がプレイしていると妙に記憶に残るものです。

 本作では「福井県鯖江市によって街に導入されながらもシェア争いに破れたARゲーム」「新興宗教教徒の信心を測るためのゲーム」「ナノマシンが強制的に主人公と同じ感動を味あわせてくれるテキストゲーム」「世界で唯一聖母が降臨したゲーム」「ステージが進むたびに音や光といった演出が消えていくゲーム」等など、ぱっと思い出すだけでも印象深いクソゲーが大体20本くらい紹介されています。そのどれもが相応のリアリティとブログ主の溢れるゲーム愛で事細かに、当時の反応や社会情勢を含めて語られます。「架空の出来事としてのリアリティ」「架空のゲームとしてのリアリティ」「架空の趣味ブログとしてのリアリティ」が全部カンストしてる稀有な作品です。

 これが仮にブログがアップされた年に読んでいるとしたら、ゲームを通して当時の状況がわかって勉強になっていたことは間違いないくらいのリアリティです。しかし、まぁ全て架空ですのでそれも望めないのですが。延々と存在しない物について、そして、ブログ主のゲームに対する過剰な愛を通して見る架空の未来が何とも心地良く、「これぞ娯楽だ!」という気分にさせてくれます。「小説は娯楽なんだから役に立たなくて良いんだよ!」って気持ちを強めてくれます。脳の容量なんか無駄遣いしてなんぼだよ!


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すごいよマサルさんより、多分一生脳内から消えない役に立たない文章。

 楽しい小説を、楽しいゲームを、何でも自分が楽しめたら人に紹介したくなるものですが、本作は楽しんだうえでちょっと人に内容は伝えづらいところが暗い楽しみって感じがして良いです。「最近うちのコが大きくなってさぁ」とか話してる同僚に、「いやぁ〜架空のクソゲーがリアルでさぁ〜」とかぶっ込める人中々いないじゃないですか?

 目的のある読書、勉強に疲れた方、脳の容量を余している方に是非おすすめしたい1冊です。

 

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王ドロボウJINGの思い出

 小学生の頃に買っていた少年誌はコロコロコミックスだったんですが、不思議と各連載マンガの単行本はあまり買っていませんでした。本誌も取っておいてあるのであまり必要性を感じなかったのかもしれません。代わりに買っていたのは従兄に薦められたコミックボンボンの「サイボーグクロちゃん」なんかでしたね。そして少年時代の私の中のマンガかくあるべしという作品は熊倉祐一先生の「王ドロボウJING」でした。

王ドロボウJING全7巻

 王ドロボウJINGは、伝説の王ドロボウの末裔である少年ジンとその相棒で鳥のキールが様々な土地で盗みを働くという話です。

 ジンが盗むものは、「人魚の涙という宝石」「時計じかけのぶどう」「太陽石」「望む夢を見ることができる夢玉」「表情を失った王妃のためのとっておきの仮面」などなどで、その舞台は「ドロボウの都」「幽霊船のカジノ」「時計に支配された街」「滅びた不死の都」「仮面武闘会を催す街」「電力を支配する雲の王国」等、非常に多彩です。


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独自の標的。

 とりあえず何が一番格好いいかというと、その類を見ないデザインです。街、モブキャラ、文化が今まで見てきたものと全く異なっているのです。幼心ながらに「これは何かモチーフがあるに違いない!」と思わせる舞台が、「これはきっと大人が読んでも楽しいに違いない。」と思わせてくれました。

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特に見開きは格好いい。

「今は何がモデルか解らないが、俺が大人になる頃にはきっと理解できる筈だ!」という知識への、物語の世界への憧れがこの漫画を起点に広がっていきました。現に様々なシーンに、「ピーターパン」「星の王子さま」「時計じかけのオレンジ」「チャップリン」等の物語や様々なカクテルやお酒のモチーフが含まれており、今でも新たな発見がないかじっくりと読み込みたい作品なんです。

 そして、デフォルメされた独特な舞台に存在する魅力的な敵味方。個人的に好きな敵キャラは「はぐるまもんばん」「メダルド子爵(右)(左)」「仕立て屋」辺りですね。襲いかかってくる時の文句も気が利いててカッコいいんですよ。


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様々な敵キャラ。

 

また、各話ごとに絵柄が変化し続けることも魅力です。少年マンガ的な絵柄だった初期、ファンタジー要素が増した中期、そして芸術性すら感じる後期。何故か絵柄が一所に落ち着くという訳ではなくて常に変化し続けているんですよね。作者の熊倉祐一さんは「毎回思い出しながら描いている。」という噂もありますが、何にせよ「物語が変わった。」「時系列が変わった。」ということを否が応でも感じさせてくれます。


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1巻と7巻。絵柄が変わりすぎ。

 そして、女の子と遊ぶのは気恥ずかしいと感じていた小学生な自分と比較して、女性に対してスマートに接し、何なら惚れられるジンは「いつかこんなふうになりたいがきっと決してなれない憧れの像」として君臨していました。毎話ごと「ジンガール」と呼ばれるヒロインが登場するんですが、大体最初はほぼ敵対しつつも、最後は気持ちまで持ってかれるんです。


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様々な「ジンガール」達

そして読者がジンを見る目線は「ジンガール」からの目線とほぼ同じです。惚れてまう。f:id:sannzannsannzann:20240125212305j:image

ジンガールの一人になってしまう…。

 

ちなみに、いつ出たのかもいつ連載してたのかもわかりませんが、いつの間にか出版されてたちょっとだけ大人向けになった「king of bandit JING

(第2部全7巻)

 モチーフや言い回しが更に大人向けになり、ある意味全年齢向けになった第2部。少年マンガから入るのはちょっと…と思う方にも是非読んで頂きたいです。恋愛税が導入されてる街、過去を持たない人達の街、ある日突然消えていなくなった王様「蒸発王」が帰還した時のために究極のシチューを作ろうとしてる国の話などか好きです。

 この世界観の虜になった私は当時王ドロボウJINGのゲームもやってました。ゲームもゲームで「他と違う」感じがあってぐっと来ました。

王ドロボウJING Versionはデビルとエンジェルの2つ。

このゲームはある土地を訪れたジンとキールがその土地に隠された財宝を狙うというストーリーで、基本的にはポケモンのような育成ゲームなのですが、戦闘前に賭ける手持ちモンスターを選んで勝てばモンスターが手に入り、負けると育てたモンスターを失うという「モンスターベット」というちょっと独特なシステムに、「天使を掲げる街と悪魔を掲げる街」「世を捨てた「むじん」が住むむじん島」「眠ることが生き甲斐の秘密組織、ZZZ団の砦」「ねじ巻き鳥が住む島」等、漫画にも劣らない濃厚な世界観のステージがあり、原作の雰囲気を一切損なうこと無くゲーム化がなされています。

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ステージ画面。格好いい。

 それもそのはずで基本的なモンスターデザインやゲームのデザインは作者ご本人がなされています。私が好きなモンスターはたいほうごうとうとはだかの王様です。

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たいほうごうとう、コミックボンボンに投稿された採用キャラ

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服まで脱いでしまった「はだかの王様

 

まとめたのが誰かわからない全モンスター図鑑のリンク。まとめた方と語り合いたい…。

 

また、「あくまはにどしぬ」「どうけのなみだ」「もろびとこぞりて」「ロング・グッドバイ」「あんらくし」「こうちゃきのこ」等他のゲームでは全く見ない技名の数々。

「クラスでも多分俺しか読んでないし、俺しかこのゲームをやっていない。」という自意識が子どもの自分にインストールされましたね。

 何度もクリアしすぎてフラグやモンスターを仲間にする条件等、将来的に一切使用しない知識が私の脳内メモリの中の少なくない容量を圧迫していますが、このままだと一生出力する瞬間がないのでアウトプットしてみました。誰かと王ドロボウJINGのゲームについて語りたい。原作に登場したキャラクターを2体合成しないと進まないシナリオの理不尽さとか。ポセイドンレイジとふたごのらいじんどっちが好きかとか、ジンとキール以外に何のモンスター使ってたとか。

 そして、アニメもやっていたりと、中々手広いのですが、マイナー界のメジャーだからなのか特段人が語ってる姿を見ないですね…。

アニメもやってたり。

 私は誰かがマイナーな物について熱く語っている人を見ると「そんなマイナーなもの誰が知ってるのか?」と思う反面、「調べてみようか。」と思うタイプです。知っている人、知らない人それぞれに届いたら嬉しいです。