読んだら寝る

好きな作家、本、マンガについて紹介

ENEOS ON THE WAY COMEDY 道草と木皿泉さん達の「すいか」の話

 夏が来ると思い出すのは、中学の頃に買ってもらったCDラジカセです。当時ドラゴン桜が流行っていて、ビートルズを聴いて意味を理解できれば英語の点が伸びるとかで、CDラジカセと一緒にビートルズのアルバムを親に買ってもらいました。ビートルズ自体は良く解らないと思っていたのですが、初めて自分の机の上にラジオがあると、田舎町にいる自分が広い世界と繋がったようで何となく嬉しく思ったものです。今考えるとFM大分だったので特に世界と繋がってる感じは無かったような気がします。当時好きだったのは音楽番組よりはラジオドラマで、日産の「あっ、安部礼司」やNHKの「青春アドベンチャー」をよく聴いていました。青春アドベンチャーは好きな小説がラジオドラマ化してたりするとめちゃくちゃテンションが上りましたね。

 あっ、安部礼司や青春アドベンチャーは日曜の夕方や平日の深夜などどうしてもやや狙って聞きにいかないと聴けない存在でした。一方で、塾や中学の宿題をしながらラジオを流していると自然と耳に入ってくるのが平日の17時30分に始まるENEOS ON THE WAY COMEDY 道草でした。

道草の脚本集。今はKindleで読めます。

 道草は、俳優の西村雅彦さんが楽しげに自己紹介をしつつ、物語の簡単な紹介をしてスタート。大体は西村雅彦さんともう一人のゲスト演者さんが登場人物のシンプルな物語です。二人のキャラクターが車の中で様々な掛け合いをするといったラジオドラマです。途中から車内縛りは消えていきましたが。登場人物は皆変わっていて、当時は「普通の人出てこないな。」なんて思っていましたが、途中から「変わって見えても、これもみんな普通の人達で、こんな人は意外とどこにでもいるのでは?」「自分も人から見たら十分変に見えるのでは無いか?」と思うようになりました。私自身も、当時既にインターネットもCDもある中わざわざカセットでラジオを録音したりしていたので、同級からは十分変な奴に思われていたことでしょう。現在は音源がニコニコくらいにしか残っておらず、公式がアップしたものでもないのでリンクは貼りませんが、私のオススメは「岩戸弁二郎はここにいる」です。落ち目のアナウンサーと彼に憧れて付き人になった若い男性の切なくも楽しい掛け合いです。

 このラジオドラマは平日1日5分、計4回で物語が終わるようになっていて、様々な方が脚本を務められていたのですが、その内の1人(2人、ご夫婦でやられているので。)が木皿泉さんでした。

 今回紹介するのはそんな木皿泉さんが脚本を務められていたドラマ「すいか」の脚本です。ドラマも是非見ていただきたいのですが、脚本自体にも力があって小説とも違う読書体験が得られるのでオススメです。

すいか合本版。

ドラマ、すいか

 私自身もなんでこの本を手を取ったのか覚えていないのですが、大学の夏休みに行った北海道の有名っぽい本屋で平積みされていたとかそんな感じだったような気がします。

 すいかの物語は普通の34歳独身女性、信用金庫で働いている基子さんが一風変わった寮、ハピネス三茶で一人暮らしを始める話です。基子さんは普通の人です。普通に仕事の愚痴を同僚と話していましたし、親とも仲が良かったり折り合いが悪かったりします。そんな彼女に転機が訪れたのは同い年で仲のいい同僚、馬場ちゃんが職場の銀行で三億円を横領して逃亡したことでした。身の回りで三億円が盗まれたことが無いので想像がつきませんが思ったよりあっさりとしてました。そういうものかもしれません。このすいかではドラマティックなことも度々起きているのですが、なんて言えばいいんでしょうか、現実でドラマティックな事が起こっても意外と物事は淡々と処理されていくんじゃないか?みたいな空気感で物語は進行していきます。奇妙なのにリアリティがある、独特な空気感が癖になります。

 基子さんが入居するハピネス三茶は、優秀な大学教授の夏子さん、双子の姉妹を亡くした漫画家結さん、食事を提供してくれる寮のオーナーゆかさんと総じて、日頃身の回りにいなそうなメンツが揃っています。しかし、その設定云々というよりかは、どの登場人物もおかしみのある言動を取る辺りにこの物語の肝があります。

 煎餅の粉が散らばらない様に口で吸いながら食べる人、夫婦で揉め事が生じた際に夫の足の指にペディキュアを塗って無言の抗議をする妻など、どこかに居そうなラインの変わった言動を取るキャラクターが多数登場します。すいかを読んでいるとそれを見ながら、こいつら変わってるなーとクスクス笑うことになるのですが、やはり翻って果てして自分は?と考えることになります。

 基子さんは、普通に生きる圧力に晒されて埋没して生きている印象のある方です。しかし、それで個性が無いかというそんなことはなく、やはりどこか変わっているのです。そんな基子さんは日常が少し変化するきっかけとなった馬場ちゃんに思いを馳せながら、自分と向き合うことになります。基子さんにとって馬場ちゃんは自分にもあり得た未来を体現している存在の様に感じている気がします。人はもっと良い選択肢があったのではないか?とぐるぐる考えるものだと勝手に思っているのですが、そういった方はかなり基子さんに感情移入できる様な気がします。

 この本は、普通に見える基子と変わって見える周囲の変人達を見ながら、自分の理想の姿とは別に、個性を潰す必要は無い、多少変わっていても良いんだと思わせてくれる素敵な作品です。「友が皆我より偉く見ゆる日よ」等と考えてしまう日に是非ダラダラしながら読むことをおすすめします。