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「正義は人間に支配されている」とゴリラは言った〜須藤古都離さんの「ゴリラ裁判の日」

 3月、出会いと別れの季節ですね。異動の為の引っ越し準備も自分の業務の引き継ぎ作成も次の業務の準備も全て終わってなくていい加減気が狂いそう。田舎に戻って高崎山のサル達と露天風呂に入っていたいと感じる今日このごろです。田舎で温泉にでも浸かりたい、というのは疲れた社会人共通の願いであると思いますが、これは森で暮らしていた先祖返りみたいなものですかね?コンクリートジャングルよりもど田舎の鄙びた温泉宿に癒やされる野生がまだ我々の中にも残っているのかもしれません。

 さて、私の中の野生が楽しみにしてやまなかったのが本日発売した「ゴリラ裁判の日」です。出版が決まったときから私の中のゴリラの群れは皆ドラミングをしていました。せっかくなので紹介させていただきます。

 

 ゴリラ裁判の日は第64回メフィスト賞受賞作。ミステリーでも純文学でも異能力バトルでも面白ければ即出版というバリトゥードな文学賞であるメフィスト賞の最新作は人語を解するゴリラが夫ゴリラ殺しの裁判に挑むというエキセントリックな内容です。

 大まかなあらすじを説明します。カメルーンのジャングルで生まれたゴリラ、ローズは母ゴリラ共々自然公園に所在する研究所によって教育を施され、手話によって会話をすることが可能になりました。更に、最新の技術によって手話を音声として発する手袋を用いることで手話を理解していない人間とも問題なくコミュニケーションが可能です。

 人間の生活に興味を持ったローズは紆余曲折あり、アメリカのクリフトン動物園に移住し、オマリというゴリラと夫婦になり、共に幸せな生活を送っていました。ある日、動物園のゴリラの柵の中に4歳の少年が落ちてしまったことから彼女の「人生」は一変します。夫のオマリは少年を抱きかかえ、引き摺るように保護しました。敵意が無くともゴリラの腕力を考えれば非常に危うい状況です。動物園も少年の保護を第一に考え、オマリは事故の発生から10分後に射殺され、少年は保護されました。その時、たまたま友人と面会をしていてその場を離れていたローズは、事件の現場を見て、与えられていたデバイスを用いて警察に通報しました。曰く「夫が動物園で射殺された。」と。

 物語の冒頭では、彼女が動物園を相手取った裁判で負けるシーンから始まります。そこから回想と現代の時系列を行ったり来たりしながら、彼女が如何にして自我を得ていったのか、彼女はどのように夫の死を乗り越えていくのか描写されていきます。

 さて、物語の中ではなく、現実の話をすると手話を用いることのできるゴリラは実在しました。約2000の単語を操り、子猫を飼ったり、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーと面会したりしたそうです。子猫が交通事故で亡くなったときには悲しみに暮れるとともに死の概念について「苦しみのない穴にさようなら」と説明したことで知られています。ちなみに2000語というとだいたい5歳くらいの知能のようです。

 一方で、ゴリラの柵に少年が落ちて、結果としてゴリラが射殺された事件も実在します。2016年にアメリカで起こったハランベ射殺事件です。この事件のあらましは先程のオマリの事件とほぼ同じです。この事件は動物園の責任や母親の監督責任など全米で大論争を巻き起こしました。

 ローズは作中で高校生くらいの知能を持ち会話が可能とされています。つまり、ハランベ射殺事件について、人間に近い知能を持ったゴリラが居た場合のifが本作であると言えます。また、いつか知能が高い動物が生まれた場合に十分起こりうる未来の話でもあると思います。そして、作中では比較的権利が保障されているローズの目線で、人間とはいったい何なのか?と人間の定義を考えざるを得ない不思議な作品です。

 ゴリラの裁判というシュールな内容を扱っていながら、ここまでの説明ですと少しお固い内容に聞こえてしまいますがそんなことはありません。作中に散りばめられたゴリラジョークやゴリラにまつわるパワーワード、そしてネタバレになるため詳細は省きますがゴリラのエンタメ上での可能性も描かれており退屈しません。


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クロマティ高校よりゴリラ。ダメ、ゴリラ差別。

 この世界に「いずれ神があのゴリラを裁くだろう。」「ゴリラ側の弁護士」「私は男の気を引けない初心な女(ゴリラ)ではなかった。」(括弧内は勝手に当ててますが)などとパワーワードが連発されるゴリラ小説はこの作品以外に寡聞にして知りません。ゴリラ的には当たり前ですが、人前で脱糞していたことに途中で気づいておむつを履くようになったローズもちょっと面白かったです。大統領の前で脱糞する小説もレアですし、知能を持ちながらも「弱い男(オス)は価値がない、魅力がない。」とゴリラの本能も同時に描かれているため、ゴリラ視点での人類の様子を楽しむことができます。言ってて意味がわかりませんが、何でしょうゴリラ視点って。

 それにしても最近、知能を持った動物の作品が増えている気がします。

チンパンジーと人間のハーフであるヒューマンジーを中心とした事件を描いたダーウィン事変や


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ダーウィン事変の主人公チャーリー。ヒューマンジーだからというより彼は単純に性格に難がある気がする。

ジャンプルーキーで連載中の知能を持った動物がテストをクリアすることで人間になることができる世界を描いた人間テストf:id:sannzannsannzann:20230314204627j:image

動物が知能を持った背景や人間テストの裏側に切り込んでいく意欲作。人間って何だろうと考えさせられる。

 そんな中、知能を持った動物を描いた作品の中でもゴリラと人間の定義とゴリラのエンタメ性を巧みに混ぜた本作はまさに霊長類のパイオニア的作品です。

 

 お家のわんちゃんが話し始めたり、急に猫ちゃんの尻尾が割れて長生きし始めたとき、そのまま飼うのではなく人として扱うべきなのかもしれません。そんないつかを見据えた準備にピッタリの作品です。