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作家がこんなに体を張る必要ある?意外と考えさせられるギャグエッセイ〜菅野彰さん

 どんなジャンルでも初めて読んだ本は記憶に残るものです。それがちょっとレアなシチュエーションを描いた作品だと尚更記憶に残ります。初めての叙述トリック、ボーイ・ミーツ・ガール、セカイ系タイムリープもの、バトル物etc.そんな中、作者の日常生活を描いたエッセイは合う合わないが強い一方、一度感覚が噛み合うと本格的にはまってしまうジャンルではないかと思います。

 私が初めて本格的にハマったエッセイは菅野彰さんの「海馬が耳から駆けていく」です。

 

世の中に爆笑を謳うエッセイは多数あり、笑いのツボも人によって異なるため自分に合うエッセイを見つけられるのは非常に幸せなことです。

 私がこの海馬が耳から駆けていくと出会ったのは地元商店街の古本屋の文庫コーナーでした。(新品じゃなくて申し訳無い。その後は新作を書店で買いました。)元々、久世番子先生のエッセイ漫画、暴れん坊本屋さんの中でさらっとタイトルのみ登場していたのとその独特なタイトルから記憶の片隅に残っていたのでしょう。

 

暴れん坊本屋さん、お仕事エッセイ漫画のはしりのイメージ。気弱な営業マンが本屋に海馬が耳から駆けてゆくの文庫本を営業するシーンがある。

 

 あ、これどこかでタイトルを見かけたことあるな、あまり見かけない珍しいレーベルだしまとめて買って読もう、と思ったその日の帰宅途中の電車でどハマリし、全巻を読み通すことになりました。

 私はあまり客観的に分析ができないタイプの人間なのでこのエッセイのどこに惹かれているのか、魅力はどこにあるのか、十分に伝えられるのか不安ではありますが説明します。

 一番の魅力は作者の菅野彰さんに感情移入できる点です。普段生きていると何かしらのトラブルに巻き込まれることがあると思います。どんなトラブルも終わってしまえばある程度彼方に記憶は追いやられて行くことでしょう。しかし、本作ではよくそんなに詳細に思い出せるなというレベルで作者の体験の記憶が掘り起こされています。

 例を挙げるとマラソン大会が無いという理由で進学した高校での荒んだ青春時代(名前が違うだけでむしろフルマラソンの大会があった)。なんとはなしに旅行先で川に入ったら川から上がれなくなった遭難話。旅行に行った先が宗教施設のようなかなり神がかった村だった話などなど。まさに今体験しているのではないかと思わせるような筆致でみずみずしく綴られています。

 また長期連載であるため、歳を重ねて徐々に落ち着いた雰囲気にはなっていくのですが、それでも「40歳まで未婚だったら振り袖着てパーティー開いてやる」と言っていた友人の40歳の誕生日振り袖パーティーを開いたりと変わらぬ愉快な日常が続いていて飽きが来ません。こんなふうに歳を重ねたいようなそうでもないような不思議な塩梅が癖になります。

 

 更に、メインのエッセイ?である海馬が耳から駆けてゆく以外のエッセイはなぜかほぼ全て体を張った企画物です。

 有り体に言うと開店してるのかが謎な店を回るエッセイ。文庫版は追加ページが有る。

 

 可愛らしいイラストとともに生きていたお店(普通に営業していて美味しかったお店、巻末に連絡先有り)と死んでいたお店(めちゃくちゃ不味い、仮名)のレポートをするあなたの町の生きているか死んているかわからない店探訪しますや

 

 ある意味一番体を張っている生ビール?シリーズ。飲酒旅行記ではなくマラソン体験記。

晴れ時々、生ビール

晴れ時々、生ビール

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雨が降っても、生ビール

不健康を自覚し始めた作者が離島でフルマラソンに挑戦するまでが描かれている。

 タイトルにもある通り運動とともに常に飲酒描写がある。マラソン前日も飲んでた気がする。運動の前後に酒を飲んで走るつらさが伝わってくるリアルな描写。そんなリアリティは要らない。

 

29歳崖っぷち作家婚活への道と題した企画。一巻の早々で30歳となり、崖の下からお送りしますとの自虐を経て吹き矢、断食などなど様々な体験記になる。

 総じて本業は作家なのにエッセイのために体を張りすぎているのです。停滞したYou Tubeチャンネルのテコ入れかネタ系ブログの体験記かと見紛うばかりの体当たり企画を長年培った文章力で綴られたエッセイが面白くないわけがないのです。

 そんな菅野彰さんの作品で個人的に一番のおすすめがこちら。

 

作者の菅野彰さんが触れなば落ちん女を目指して担当編集とふたりで女磨きをしていく体験記、女に生まれてみたものの。

 このエッセイは主に2つのテーマに分かれています。一つは先にも挙げた女磨き。これは団鬼六先生に高級なクラブでアドバイスをいただく、海女体験、紙芝居屋、夜職向けの認可外保育施設の1日体験などなど、女磨きと関係するかはともかく中々その裏側を知ることのできない職に密着して取材、体験しており、ある意味貴重な体験記となっています。

 もう一つは話の随所で取り沙汰されている担当編集との確執。菅野彰さんは会津出身、担当編集は山口(長州出身)、それぞれ明治維新で新政府の中心となった藩と旧幕府側で最後まで戦い犠牲を出した藩の出身で、当初はネタ全開で「維新の恨みを晴らしてやる!」「うちらは基本的に、明治維新、やったね!としか思ってない。」などとやり取りをしていました。そんな中、ネタ半分で、菅野彰さんが寛容を学ぶ旅行(山口旅行)と会津旅行をすることになります。

 しかし、今は昔の明治維新といえど内乱であることには違いがありません。会津戦争は有名な白虎隊に始まり藩士以外にも多数の犠牲者を出しています。山口では、明治維新に関する史跡や資料等多数残っており、両県の歴史家の方々の話を通して、ご自分の考えがどう変わっていったか、歴史をどう捉えていくべきなのかが描かれています。ネタでしかなかった旅行がお二人と同様に、読者も考えさせられる旅行になります。急に真面目になる落差は凄いですが、その落差故に作者に感情移入してしまうのです。そしてお二人の体験を元に、あなたはどう思いますか?と読者にも考えさせるきっかけとなる本作品は紛れもなく良書であると思います。

 

その他のエッセイとして

東日本大震災前後の福島での日記、「居酒屋に半カレー」

 基本的にどの著作からも福島県、東北に対する郷土愛を強く感じるのですが、気負いすぎず現地で被災時にどう感じていたのかを書き留められた本作は災害について考えさせられる作品です。

 そのうえで、ある程度復興が進んだ後連載された「おうちご飯は適宜でおいしい」

この作品は東北の美味しい素材が月イチでおすすめの料理法とともに届くサブスクリプションサービスを利用しつつ東北各県の美味しいものを食べ、お酒を飲み、美味しさを語るというエッセイです。震災の後、街の復興が進んでも中々回復がしなかったのは福島を中心とした風評被害です。科学的根拠のない批判は見るに堪えないものでしたが、反論するのではなく、こんなに美味しいものがあるんだよと気負わず紹介される本作は東北の魅力を再発見できる素敵な本だと思います。あと酒がめちゃくちゃ飲みたくなる。昔から飲兵衛の書くエッセイは信用できると相場が決まっています。

 小説はBL作家が本業?なので基本的にはBLが多いのですが、自死遺族問題について扱った「僕は穴の空いた服を着て。」

 我が家での愛称は襤褸(らんる)

 

菅野彰さんは三浦哲郎さんの「忍ぶ川」についてエッセイの中で度々言及されています。三浦哲郎さんといえば本人を支援していた兄を始め家族の複数が行方不明や自死を選んでいる作家で、「忍ぶ川」はその自伝的な側面もあります。死を選ぶということは本人に取っての悲劇ではあるのですが、それ以上に残された家族にも負担を強いることになります。救えなかったのか、自分のせいではないのかと自責の念に苛まれることもあるでしょう。そんな自死遺族にフォーカスした今作。おそらくメインに描きたかったのはご家族の死はあなたのせいではないと誰かに届けるためである気がします。誰しも辛いときがあると思いますがそんなときに是非読んでいただきたい作品です。

 

またその他コメディ要素のある時代小説など小説の著作が多数あります。

モダン・タイムスシリーズ。江戸時代、暑い日の物売りの売る白玉入りの砂糖水(冷っこい)の描写が美味そう。

 

 レーベルの関係上電子化していない作品もあるのですが、絶版となってはいないので、最近笑える話を読んでないなと思われる方は是非お手にとってみてはどうでしょうか。